夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

クリスマスリース

2016年11月30日 | 日記

クリスマスが近づいた。

博物館では、親子でクリスマスリースを作る催しを行う予定。

昨日はその準備をした。

葡萄のつるを輪にしたベースに、ヒバの葉を針金でとめる。

それに、着色した松かさやプラスチックの玉、りぼん、鈴などを飾る。

子供たちに、クリスマスリースの作り方を、どのように指導したらよいか考えながら試作品を作った。

当日、子供たちがどのようにして作品を作るのか楽しみである。


キリタンポ鍋

2016年11月26日 | 俺の料理

雪が降った。 

寒い、寒い、寒い。

身体を暖めよう。 身体の中から暖めよう。

夕食はナベにしよう。

キリタンポ鍋が良い。

俺は女房とスーパーに行って、ナベの材料を探した。

まずはスープ付きのキリタンポをかごに入れた。

それから、とり肉、ごぼう、せり、ねぎ、まいたけ、えのき、豆腐、糸こんなど。

俺はキリタンポ鍋が食べられると思うと、心がポカポカ。

 

インフルエンザが流行ってきた。

クルマで家へ帰る途中、病院に寄った。

そして、インフルエンザの予防注射を受けた。

注射が終わってから、看護師さんが言った。

「副作用が起きるかも知れないから、異常を感じたら病院へ連絡するように」

「それから、お酒は控えるように」

俺はショックを受けた。

今夜はキリタンポ鍋だ。 鍋にはお酒がつきものだ。

それなのに、酒が飲めないのか!!

 

食卓にカセットコンロと土鍋を用意した。

ナベの材料を並べた。

それにお酒を添えた。

看護師さんの「お酒は控えるように」との言葉が気になる。

しかしなあ、鍋にはお酒がつきものだからなあ。

ウーン困った。

飲んだら身体に異常がでるだろうなあ。

「異常を感じたら、病院へ連絡するように」とも言ったはずだ。

この言葉に頼って良いのかなあ?

2016-11-24

 


カニカマ&玉子&オクラ&小松菜&ネギの五目うどん

2016年11月22日 | 俺の料理

俺はもしもに備えて、食事の作り方の練習をしようと思っている。

だから、今日のお昼は俺が作ることにした。

寒くなってきたので、温かいうどんにしよう。

俺は昨日からネットで、うどんのレシピを探していたのだ。

簡単なのは「うどん」だが、俺はあまり好きではない。

なぜかと言えば、一字を変えれば「手抜きうどん」になるからだ。

 

俺はもっと手の込んだ、美味しいうどんを作りたいのだ。

レシピを見て、俺なりにアレンジしたうどんを作るのだ。

茹でたうどんに、五つの材料をトッピングしたものを作ろう。

味がまずくとも、見た目はきれいで楽しめるからだ。

冷蔵庫から食材を探す、玉子、茹でた小松菜、ネギ、冷凍したオクラなど、四つの食材を見つけた。

あと一つは彩りを考えて、赤いものが良いだろう。

俺はスーパーへ買い出しに出かけた。

まず、茹で麺を二人分。  

次はトッピングに赤いものを探す。

ナルトを見つけた。   赤い渦巻きがある。

うどんに入れると、きれいだろうなあ。

しかし、値段を見たら高い。

そこで、別の物を探した。

赤いカニカマを見つけた。   

蟹もどきのカマボコが10本も入っている。

これなら安い。

俺は一度かごに入れたナルトを戻して、カニカマと取りかえた。

 

家に帰った。

二つの鍋でお湯を沸かす。

一つには濃縮だしの素を入れる。  

これに玉子を割って入れ、固まったら取り出す。

カニカマを、だし汁で少し煮て取り出す。

別の鍋でうどんを温めて、お湯を切る。

うどんをどんぶりに取り分ける。

これにだし汁をかける。

まずは、どんぶりの中央に玉子をのせる。

カニカマ、小松菜、ネギや解凍したオクラを並べて出来上がり。

美味しそうに、きれいにできた。

五目うどんの出来上がりだ。

二人で食べた。

美味しい。

カニカマはだし汁で煮ると美味しくなることがわかったと女房が言った。

女房がうどんを作ったときは、カニカマを煮ることはなかったろうなあ。

今日のお昼は満足。

万一、もしものことが起こったとしても、俺は大丈夫だと女房に告げた。


カニカマ&玉子&オクラ&小松菜&ネギの五目うどん


レストランで 大声

2016年11月20日 | 日記

ランチタイムに女房とレストランへ入った。

お店は混んでいた。

だから、なかなか食事が運ばれてこない。

バカでかい声が聞こえてきた。

どうやら、会話の内容から察するに、夫に先立たれた高齢の女性たちのようだ。

4人の女性たちは耳が遠いせいか、大声で話し合っている。

お店の中、すみずみまで響き渡る声だ。

俺は今までにレストランでこんなに大声で話す人に遭ったことはない。

会話の内容は、電気・水道代の節約の仕方、燃料費を節約する方法などだ。

一人暮らしなので、こたつを小さいものにした。

お風呂が沸いたら大急ぎで入る、などなど。

いつになっても話が止まらない。

うるさい、うるさい、うるさい。  気分が悪い。

そこで俺は心を改め、うるさい会話の中から、お笑いになりそうなものを探して楽しもうとした。

しかし、愉快な会話はない。

みな年金生活でお金がなく、生活費に困っている話ばかりだ。

今日は節約して貯めたお金で、レストランで豪華に女子会か。

少し笑えるのは 「寒いときは湯たんぽを抱えてテレビを見ている」 話だけだ。

(俺も学生時代は貧乏学生寮で、

湯たんぽを抱えて勉強していたなあ)

ようやく注文したカルビランチが運ばれてきた。

今日は早くお店を出ようと、さっさと食べた。

大声は延々と続く。

ランチを食べ終えたし、うるさいからさっさとお店をでようとしたら、女房が食後のコーヒーがまだ運ばれてこないと言う。

コーヒーを飲まないで店を出てもよいのだが、我が家でコーヒーを飲めば、お金がかかるのだ。

家計にひびくのだ。

俺も4人の婆さんたちのように節約に努めなければならない。

しかし、お店が混んでいるせいか、なかなかコーヒーがでてこない。

その間、大声が聞こえるが何を話しているのかわからない。

ただの騒音だ。

俺は聖人君子ではなく凡人だから、バカでかい会話の中で、静かに食を味わうことが出来ないのだ。

今日のランチはまずかったなあ。


干し柿

2016年11月18日 | 日記

11月18日(金)

(クリックで拡大)

干し柿を作ることにした。

昨年までは、柿の皮をむいて熱湯に入れてから干した。

女房が友達から熱湯でなく、酢につけた方が良いと聞いてきた。

酢に浸すと熱湯よりもカビにくくなるとのことだ。

そこで、今年の干し柿は酢に浸してから干すことにした。

女房は柿の皮をむく役割。

俺はひさしに柿を干す竿を組み立てた。

鳥よけのネットを張った。

そして、柿を干した。柿の数は80個。

 

干し柿ができるのが楽しみだ。


スマホを見ながら運転

2016年11月14日 | 日記

  小学校の近くを散歩していると、クルマがゆっくり近づいてきた。

スマホを見ながら運転している。

若い女性だ。

メールを見ているのか?

地図検索?

それとも、ポケモンGO。

危ないなあ。

小学生が登校したあとだからまだよいが、俺のような高齢者が歩いているから危険だよ。

万一クルマが突進してきたら、避けられないよ。

 若い頃の俺だったら、走って行き、クルマを止めて注意しただろう。

しかし、今は老体だからなあ。

下手に注意すると、逆襲されて怪我をするかもしれない。 

走ることも、注意することもできないよ。

見ていると、小学校の裏門の方に左折して行った。

事故が起きませんように。

(余計なブログ) 

 小学校の近くに和菓子屋がオープンした。

散歩の途中でお店に寄った。

ずんだ大福を二つと、かりんとう饅頭を二つ買って帰った。


由利本荘市 八幡神社の 石柱に 刻まれた 明治の 天災

2016年11月13日 | 由利本荘市

   秋田県由利本荘市

      八幡神社石柱に刻まれた明治の天災 

 

 平成23年6月23日から24日にかけて、秋田県由利本荘市一帯は大雨となった。洪水が発生し、石沢川は子吉川との合流付近の堤防が決壊。その他にも二つの川は水が堤防を越えた箇所ができた。そして、75戸の家屋が浸水し、田畑にも被害がでた。しかし、幸いにも人的被害はまぬがれた。

 このとき、私はパソコンを操作し、河川のライブカメラを通して洪水の様子を観察していた。地元、由利本荘市の弟妹に電話連絡したら、近くの子吉川が氾濫していることを全く知らないでいるのだ。遠く栃木県に暮らす私には手に取るように洪水の様子が観察できるのに、皮肉なものだ。

 パソコンで洪水の様子を観察しているうちに、私は祖母や叔父から聞いた明治時代の大洪水のことを思い出した。明治20年生れの祖母は子供の頃、現在の由利本荘市岩谷町が洪水になったので、妹を連れて逃げたとのことであった。また、大正2年生れの叔父から、明治時代に旧本荘町(現由利本荘市)が大洪水になり、親戚の娘さんが亡くなったと聞いた。急な出水のため、外へ逃げられず、押入れの天袋へ登ったが、洪水が天井を超えたため、亡くなったという。他の家族はどのようにして助かったかは聞いていない。叔父は洪水の水位が八幡神社に印されていると教えてくれたが、そのころは興味がなかったので、調べに行こうとは思っていなかった。

 平成23年の水害をきっかけに、郷里が被害を受けた明治の洪水に興味を持った。しかし、遠く離れているので、ままならない。そこで、由利本荘市在住の弟に連絡し、羽後本荘駅近くの八幡神社に洪水の印があるか調べてもらった。すると、八幡神社の鳥居の右手に石柱があり、これに明治の洪水と震災の記録が刻まれた碑文を見つけたと連絡があった。弟は八幡神社の近くに住んでいたのに、今まで全く気がつかなかったという。

 弟に碑文の書き写しを送ってもらった。また、平成25年に郷里に行く機会があったので、碑文を確認した。文字がかすれているところは推測して記録した。石柱の碑文は次のとおりである。(パソコンで表せない文字は現代文字に改めて記録した)

   前面 「懸社八幡神社」(懸社はセメントで文字埋め)

   右側 「明治三十年八月寄附中横町丁内」

   左側 「秋田懸羽後國由利郡本庄町」

   後側 「明治廿七年八月廿五日本懸未曽有ノ大洪水アリ由利平鹿雄勝ノ三郡最モ激シ子吉川水量の増加此ノ標柱ヲ超ス事尺五寸當町大町除之外悉浸シ溺死者二十余名流失家屋三十余戸非常ノ惨状ヲ呈セリ同年十月廿二日劇震アリ道路亀裂シ隣懸酒田市ハ中心点タリ同廿九年八月三十一日劇震一層甚シ源ハ本懸六郷町中心点タリ如此頻繁ナルハ稀有ノ事タルヲ以テ紀念ノ為ノ後世ニ傳フト云爾」  

 石柱は高さが約2.6メートル、幅は36センチの角柱であり、高さ約40センチの台石の上に建てられてあった。洪水は「此ノ標柱ヲ超ス事尺五寸」とあるので、洪水の水位は八幡神社の境内では、約3.5メートルと推測される。

 なお、「本荘町自治史」によれば、洪水から避難する様子や被害の状況が次のように記されている。

「屋上に上り或は天井を破って梁に上り或は楼上にあって半身を浸され纔に生きるを得たのみで其狼狽悲泣の有様實に譬ふるにものなく愈々満水に及んでは深さ殆ど二丈(約6メートル)に達した所もあり(略)梁に登ったものも其泣聲により屋根を破って救ひ出されたものが多く最も見るに忍びざりしは産婦病者であって避けしむるに舟なく止むを得ず屋根に上げたので数日内に死亡したものも少くなかった(略)急激の出水であったから河川の舟は悉く流れ救助船の如きは僅に数人を容れる小舟二三艘のみで二十余名の生霊を空しく水中に葬る止むなきに至った(略)浸水戸数二千余死亡二十一人行方不明一人流失家屋六十四戸全潰三十五戸半潰十九戸破損百六十戸其他田畑の損害家具の流失破損等算無く上流では人畜の死傷更に甚しかった本荘町前代未聞の大洪水であった」

 八幡神社の石柱には「流失家屋三十余戸」と刻まれているが、本荘町自治史によれば、「流失家屋六十四戸」とあり、その家の名が記録されている。流失家屋の数に大きな違いがあるので、碑文の書き写しに誤りがあったのではないかと思い、撮影してきた写真を拡大してみたが、三十余戸に誤りはなかった。勝手な解釈であるが、数世帯が同じ棟に住む長屋を一戸として数える場合と、世帯ごとに数える方法の違いではないかと推理したが、確かなことは分からない。

 碑文を調べているとき、幸いにも宮司さんにお会いすることができたので、洪水の水位の印のことについて尋ねてみた。それは本殿の柱に印があるとのことで、案内していただいた。洪水の水位の印は、本殿の奥の右柱の後ろ側にあった。7寸角の柱に横線が刻まれ、その上に「明治二十七年大洪水是過」と、釘のような先の尖ったもので印した跡があった。叔父が教えてくれた洪水の印とは、このことなのだろう。

 八幡神社の石柱には水害と同じ年に起こった酒田市を震源地とする大地震と、2年後の六郷町を震源地とする大地震についても記されている。ネットでの資料によると、明治27年の地震は庄内地震と呼ばれ、由利郡で家屋破損1548棟、また、29年の地震は陸羽地震と呼ばれ、死者205名、負傷者736名となっている。

 明治の先人は後世の我々のために、洪水や地震の災害の記録を石に刻んで残しておいてくれたのだ。先人が八幡神社の境内にどんな気持ちで石碑を建て、本殿の柱に洪水の水位を印したのであろうか。

 奇しくも、この原稿を書いていた平成28年4月14日、熊本地震が発生し、甚大な被害を受けた。天災は忘れた頃にやって来るという。明治の先人が八幡神社の石柱や本殿の柱に記録した天災を、心に留めておきたい。

(2016-04-14記)

 

               《本荘八幡神社》

             《石柱》

 

    碑文の一部


日記 (11月11日)

2016年11月11日 | 日記

11月11日(金)

那須与一伝承館へ全国竹芸展を観に、二人で出かけた。

緻密な編み方や独特のデザインの竹工芸品を鑑賞。

その後、隣のレストランへ。

豚カツ定食と天丼を注文。 

女子中学生が職場でのチャレンジ学習として仕事をしていた。

にこやかに、「お待たせしました」と食事を運んできた。

学校での勉強より楽しいだろうなあ。

 

今日も外食


俺は 鉄火丼を 作った

2016年11月08日 | 俺の料理

          11月8日(火)

 最近、女房はお昼を作らなくなった。

おとといはスーパーの弁当、昨日は外食。

女房は今日もお昼を作らないであろうと、俺は察知。

だから、俺は昼食の材料を買いに出かけた。

マグロのさくを買ってきた。

これで鉄火丼を作るのだ。

まずは、みりん、日本酒、醤油を合わせて漬けだれを作った。

それから、マグロのさくを包丁で刺身のように薄く切った。

これを漬けだれに漬けた。

こうすれば味が沁み込んで美味しくなるのだ。

次に酢めしを作る。

ご飯に寿司酢を少しずつ混ぜる。

味をみながら寿司酢を足していくのだ。

酢めしに白ゴマを混ぜた。

そして、どんぶりによそった。

酢めしを富士山の形に盛った。

円錐形に盛りつけると、表面積が多くなり、マグロを多くのせられるのだ。

俺はマグロを並べながら、考える。

酢めしに海苔をかけたらよいのではないかと。

そこで、一度のせたマグロをはがした。

それから、はさみで海苔を細く切って酢めしにかけた。

酢めしの上にマグロを8切れ、放射状に並べた。

わさびを添えて出来上がりだ。

二人で食べてみた。

美味しい。 とても美味しい。

おととい、スーパーで買ってきた鉄火丼より美味しいのだ。

女房は俺に感謝。   うれしくなったよ。

 

でもなあ、毎日毎日、

女房にお昼を作ってくれと言われるようになったら、

どうしようかなあ。


今日の お昼は 石焼ビビンバ.

2016年11月07日 | 俺の女房は- - -

          11月7日(月)

 

女房はお昼の用意がいやになったようだ。

最近はスーパーで、助六寿司や弁当を買ってくることが多くなった。

今日はスーパーではない。

女房は卓球クラブから帰ってくると、俺を誘って韓国料理の店に行った。

そして、石焼ビビンバを注文した。

あつあつの石焼ビビンバが出された。

熱く焼けた石の鍋に、人参、もやし、にら、海苔、玉子などが入っている。

かき混ぜて食べた。

食材が熱すぎて、それぞれの食材の味がわからないが、美味しい。

女房が、お昼の準備が面倒になったので、外食ができるようになったのだ。

俺はスーパーの弁当よりは、外食の方が好きだ。

明日もまた、お昼は外食かなあ。 楽しみだなあ。

女房はお昼を作るのが、いやになったから、楽しみが増えたなあ。

俺は、次は何を食べようかと、メニューを見る。

           前 菜
 

                 石焼ビビンバ

 


今日も お昼は スーパーの 弁当

2016年11月06日 | 俺の女房は- - -

          11月6日(日)

 

女房が言った。

「今日も、お昼は作りたくない」と。

そして、スーパーで弁当を買ってきた。

鉄火丼と五目海老ちらしだ。

二人で分け合って食べることにした。

たまにはスーパーの弁当でもよいけれど、

俺は女房の手作り料理が食べたいのになあ。

明日もまた、スーパーの弁当かなあ。

 


博物館フェスタ

2016年11月03日 | 日記

11月3日(木)

那須野が原博物館でフェスタが行なわれた。

親子での工作にチャレンジとして、ストローでトロンボーン作り、木の実の壁飾り、かざぐるま、ブンブンこまなどだ。

また、紙芝居、民話語り、クイズなどがあり、親子でにぎわった。

屋外では古本市やフリーマーケット。

 

私はストローでトロンボーン作りのボランティアを行なった。
(ブログ掲載承諾済み)

幼稚園生や小学生と、お話をしながら作った。

子供たちとお話するのがとても楽しい。


(太いストローと細いストローを組み合わせて、トロンボーンを作る)