映画;母 小林多喜二の母の物語
原作 三浦綾子 『母』
昭和8年2月20日、『蟹工船』の作家、小林多喜二は特高の拷問で虐殺された。「武器を作るお金で、皆に白い米のご飯を!」と、反戦を訴えてきたことが、治安維持法に触れたのだ。
三浦綾子は多喜二の弟や多喜二の知人などから取材を行ない、多喜二の母をモデルに、小説『母』を書いた。そして今年・2017年に映画化された。
(三浦綾子著 『母』より抜粋)
布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。 首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。 ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。 下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の二倍にもふくらんでいた。 誰かが、
「釘か針かを刺したな」
と言っていた。
------ああ、いやだ、いやだ、あの可哀相な姿は思い出したくもない。 思い出したからって、どうしてやりようもない。
よくまあわだしは、気絶もしなかったもんだ。 それどころかその時わだしはこう言ったんだと。
「ほれっ! 多喜二! もう一度立って見せねか! みんなのために、もう一度立って見せねか!」
ってね。 多喜二のほっぺたに、わだしのほっぺたばくっつけていたと。
わだしは多喜二が死んだと思いたくなかったのね。 ほんとに生き返って欲しかったのね。
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今年の夏、図書館で、大きな活字の本の中から、小林多喜二の『蟹工船』が目に止まった。 小説をあまり読んでこなかった私であるが、なんとなく気がひかれて読んでみた。 それから、三浦綾子が多喜二の母を書いた小説、『母』を読んだ。
新聞で、『小林多喜二の母の物語』が鹿沼市で上映されたことを知ったのは、三浦綾子の『母』を読んでいた時のことである。
ネットで検索し、9月2日から15日まで、宇都宮市のヒカリ座で上映するとを知った。 偶然が重なり幸運なので、映画へ出かけた。