夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

小原庄助さんのお墓

2014年08月29日 | 飲兵衛の徳利墓

♪小原庄助さん なんで身上つぶした

朝寝 朝酒 朝湯 が 大好きで 

それで 身上つぶした

もっともだ もっともだ♪

福島県民謡「会津磐梯山」の一節である。

小原庄助さんのお墓は白河市の皇徳寺の墓地の奥まったところにあった。

寺までは白河駅から歩いて5分程と近い

お墓は飲兵衛にふさわしく、徳利の上に盃の笠を載せた形で面白い。

あの世に行っても陽気に「朝寝・朝酒・朝湯」を楽しんでいるのだろうなあ。

戒名は「米汁呑了信士」(べいじゅうどんりょうしんじ)

なるほど、生き方がよく分かる素晴らしい戒名だ。

 

 

 

 

 

♪会津磐梯山♪ ユーチューブをお借りしました。

 


足元からキジが飛び立つ

2014年08月24日 | 日記

8月24日(日)

我が庭は雑草だらけ。

よく言えば、キジのために住みやすい環境を作っているのだ。

今朝、庭にでたら足元からキジが飛び立った。

雑草が茂っているので、キジに気がつかなかった。

以前、庭のツゲの木の上で雌を呼んでいたキジだろう。

附近が宅地化されたので、キジには住みにくくなってしまった。

どうやら嫁さんは来なかったようだ。

我が家にはキジの隠れ場所があるから、つがいで住めばよいのに。

そうなれば、キジさんのために雑草だらけにしておくよ、と自慢できるのだが

 


置き引きに遭った

2014年08月22日 | 日記

 退職したばかりのころ、俺は折りたたみ傘を買った。 チョット高級な傘だ。

手入れが良いから、今でもしっかりとしている。

持ち手のボタンを押すとパッと開く傘だ。

クルマから下りるときに、ドアを少し開けてボタンを押すとパッと開くのだ。

だから雨に濡れずにクルマから下りることができる。

骨は丈夫で三つ折りである。 傘の布もしっかりとしている。

高かったけれど、丈夫で便利だから、死ぬまで使えると思って奮発して買ったのだ。

俺は図書館へ行った。 夕立がきそうなのでこの高級傘を持って行った。

そして調べ物があるので、新聞のバックナンバーを探した。

何日か分の記事から必要な項目を探して読んだ。

傘を目の前のテーブルに置いて読んでいたのだ。

次の新聞を探すのに席を離れて戻ってみると、傘が無くなっている。

隣の席の人に尋ねると、さっきまでここに傘があったという。

 

どこを探しても傘は見つからない。

やられた!!  置き引きにやられたのだ!!

死ぬまで使おうと奮発して買った高級傘を盗られたのだ。

残念!!  くやしい!!

 今度は100円ショップで折りたたみ傘を買ってこよう。

死ぬまで使えるかなあ 


クルマの盗難警報が鳴ったが - - - -

2014年08月20日 | 俺の女房は- - -

今朝、女房に頼まれてゴミ袋をゴミステーションへクルマで運び出すことにした。

燃えるゴミが45リットル用の袋にぎっしり詰められてある。

袋の結び目はギリギリ先の方でこぶ結びにしてある。

ゴミはギューギュー詰めだ。

なにしろ、女房の体重で押しつぶしながら詰めたのだから、袋はどっしりと重い。

1枚50円もする袋だから、普通の状態で出したのでは年金生活に響くのだ。

俺は女房にゴミ袋をクルマに積んでもらって出かけた。

車庫へ戻ってみるとハエがクルマに入り込み、窓を開けても飛び去らない。

俺は窓を全開にしたまま、クルマから下りた。

俺はいつもの習慣で、クルマを離れるときはドアをロックする癖がある。

窓を全開にしてドアをロックしても盗難防止の意味はないはずだが、自然に手が動いてロックしてしまうのだ。

しばらくしてから、俺はクルマに用事があるので、助手席側の窓から手を入れてロックを外した。

すると、運転席の計器から、ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!と小さな音がした。

音が小さいので気にせずにドアを開けた。

そしたら、俺はビックリした。

突然、ブッ!!ブッ!!ブッ!!ブッ!!と大音響が鳴り響いた。

盗難警報が鳴ったのだ。

盗難防止警告音付きのクルマだったのだ。

俺はあわてて家へ駆け戻り、電子キーを持ってきた。

そして、エンジンをかけたら音は止まった。

近所へ迷惑をかけたようなので、道路へ出てみたが誰もいない。

クルマがないから近所の人たちは留守なのだろう。

まずは、近所に迷惑をかけずに済んだからホッとした。

 

ところが、自宅の車庫で大音響で

ブッ!!ブッ!!ブッ!!ブッ!!

警報が鳴っているのにもかかわらず、

我が家にいる人は家から出てこないのだ。

俺の女房は平然として新聞を読んでいるのだ。

 


新聞紙のような教科書  *ボクの見た戦中戦後(27)

2014年08月17日 | ボクの見た戦中戦後

 昭和21年4月、ボクは国民学校初等科3年生になった。

2年生の時は男女が同じクラスで勉強していたが、3年生以上は男女別のクラスなのだ。男子は松組で女子は竹組である。

先生が新聞紙のような大きさの紙を配り、これが教科書だと説明した。当時の新聞紙は紙質が悪く、現在の半分の大きさではなかったかと思う。

先生の指導で新聞のような紙を二つに折り、さらに二つに折り、折り曲げた所をナイフで切り、さらに二つに折って、折り目を糸と針で縫うと本が出来上がった。

ページを開くと縦書きに文字が並んでいた。これが国語の教科書なのだ。小さな文字で書かれていた。

ボクが姉から聞いていた国語の本の中身とは、まったく違っていた。兵隊のことや神話は書かれていなかった。

日本は戦争に負けて連合国軍の占領下に置かれた。

そして、軍国主義的な教科書の部分は墨塗りされた。

次年度の教科書は暫定的に作られたものであったろうと思う。

4年生になった時には、しっかりと製本された教科書を買うことができた。(当時の教科書は無償配布でなかった)

ボクは今でも3年生の国語の本の内容の一部を思い出すことができる。

「皿のおさかな」という詩や、「良寛さん」が子供たちと遊びながら、たけのこご飯とは、たけのこにご飯粒をつけたものだと言うが、子供たちはご飯の中にたけのこを入れたものがたけのこご飯だと言い合う物語だ。先生は子どもたちの言うことが正しいと説明したが、ボクは良寛さんの言うことが正しいと考えていたので、先生の説明に不満だった。そのため、印象深く覚えているのかも知れない。

「養老の滝」の物語もあった。親孝行息子が滝の水を汲みに行ったら、お酒になっていたというお話だった。先生は親孝行しているから、神様が水をお酒にしてくれたのだと説明してくれた。しかし、ボクはそんなことはない、息子は山の中でこっそりドブロクを作っていたのだと考えていた。

当時、ボクの村の農家ではドブロク造りが普通に行われていたし、ボクも酒米を蒸すお手伝いをしていた。ドブロクを造る過程をそばで見ていたから、山の中でも簡単にお酒が造れると考えたのだ。滝の水が酒になるはずはないと思い、神様が滝の水を酒に変えた話を信じなかった。

「かかし」が雀に米を食べられないようにと見張っている文があった。そこにはかかしのさし絵が描かれていた。強風が吹いてもかかしは「へのへのもへ」の顔をしかめて、風に向かって頑張って立っているというような物語であった。ボクたちは「へのへのもへじ」と平仮名で書きながら、人の顔を描く遊びをしていた。

どの教材も軍人や戦争のことではなく、平和なものになった。

算数の教科書も国語の教科書のように作ったのかも知れないが、思い出すことが出来ない。算数の時間に三角定規を使った。当時の定規は白っぽい金属で作られたものだった。戦争中に作った飛行機の材料の残りと聞いていた。2枚組の定規のある辺を重ねると長さが一致するはずであるが、クラスのどの子の定規も一致しなかったようだ。粗悪品である。

また、そろばんの勉強をした。記憶に残る教科書は新聞紙のような国語の本だけである。

紙が不足していた時代である。子供用の本を手に入れることは出来なかった。学校にも図書がなかった。活字に飢えていたのか、ボクは家でも国語の本を繰り返し読んでいたように思う。


高貴高齢者

2014年08月15日 | その他

村の渡しの 船頭さんは 今年60のおじいさん 歳はとっても お船を漕ぐときは 元気いっぱい 櫓がしなる

ソレ ギッチラ ギッチラ ギッチラコ

俺が子供の頃、定年退職は50歳ぐらいであった。

60歳でもギッチラコと渡し船を漕いだ船頭さんは特別元気な人だったろう。

 敬老会の招待状が来た。

俺はやっと老人として敬われる?ことになったのか。

老人とは何歳以上なのか?

運転免許証の更新で70歳以上は高齢者講習を義務付けられたから、ここでは70歳だ。

また、75歳以上は講習予備検査がある。これは認知症の簡易検査だ。

医療保険では65歳で前期高齢者、75歳以上は後期高齢者と呼ばれている。

後期のあとに末期高齢者なんて呼ばれるのではないかと思い、嫌な感じがする。

後期高齢者ではなく、高貴高齢者と呼んでいただきたいものだ。

そして、それにふさわしい扱いをして貰いたいものだ。

少なくとも、年金を下げるとか、医療費負担額を上げるなどと、年寄りいじめは止めて貰いたいものだ。

(アベさ~ん老人たちの声が聞こえませんかぁ~

かつて、わが町では敬老会に60歳以上の方を招待していたが、次第に基準年齢を引き上げ、今年は77歳以上となった。

高齢者が増え、記念品などの予算が足りなくなった為と聞く。

俺の住んでいる所では、老人年齢は予算で決まるのだ。

予算が削られ、さらに年齢が引き上げられないうちに敬老会へ出席しておこう。

俺は敬老会へ「出席」と返信はがきを出した。

出席すると何か好いことがあるかも知れない。 


古ネクタイのバッグ

2014年08月13日 | 俺の女房は- - -

 

俺は現職で働いていた頃は、毎日ネクタイをきちんと締めていた。

そして首を絞められるような毎日を送っていた。

退職したらその必要がなくなったので、今では襟元がゆったりとしている。

その後、改まった所へネクタイをして出かけるのは1年に2~3回程度だ。

女房はネクタイを2本ばかり残して、あとはくるくる丸めてどこかへ片付けてしまった。

 

ところが女房は2~3年前から知人たちから使わなくなったネクタイを貰い集め、この布地でなにやら作品を作り楽しんでいるようだ。

先日、古ネクタイで作ったバッグを持ち歩いていたら、ある知人から、そのバッグの布地は亡くなった主人のものだとなつかしそうに言われたので、その方にあげてきたそうだ。

ご主人を亡くされた方にとって、たいせつな形見になった。

女房は財布や免許証などのバッグの中身をレジ袋に入れて帰ってきた。

そしてまた、同じようなバッグを作った。(写真)

これもまた、どなたかのご主人のものだろうから、人へあげる物になるかも知れない。

 どうせ作るなら俺のネクタイで作ればよいものを、わざわざ他人様のもので作っているのだ。

 俺としては、長年俺が締めていたネクタイでバッグを作って、腕に抱えて持ち歩いて欲しいのだが --------

 

女房に尋ねたら、俺のネクタイには思い出があるので勿体ないのだそうだ。

本当かなぁ?

女房は言わなかったけれど、もしかして外出時にも俺がバッグに変身して、まとわりつかれるのが嫌なのかも知れないのだと俺は思う。


もうろく爺

2014年08月11日 | 笑い話

        も う ろ く 爺

 

爺さんが夕方、散歩から帰ってきたら、

 

婆さんから  「 もうろく爺 」 と言われた。

 

ひどいことを言うものだと、爺さんは聞き返した。

 

婆さんは言った。

 

「 もう、6時ですよ 」  (^O^) 

 


感恩の歌・報恩の歌

2014年08月09日 | その他

 

昭和一桁生まれの皆様へ

 

 こんにちは。私のつたないブログへお越しいただき、ありがとうございました。

 皆さまが小学生のときに、修身(道徳)教育で親孝行の教育を受けられたことと思います。

 ここに当時の教材と思われるものを紹介しますので、思い出していただければ幸いに存じます。 「山より高き父の恩、海より深き母の恩」と歌う「感恩の歌」です。

 SPレコードへ歌詞を添えましたのでご視聴ください。 このSPレコードは私が子供のころ、意味も分からないままに、蓄音機のハンドルを回しながら聴いていたものです。

 なお、末尾から「報恩の歌」へリンクしますので、よろしかったらご覧ください。

 

《 感恩の歌 》     

http://suketsunenoheya.web.fc2.com/61kanonnouta/kanonnouta.html

 

                           昭和二桁生まれ・すけつね拝

 


ショウガの枕

2014年08月08日 | 俺の女房は- - -

 

暑い、寝苦しい。

エアコンをかけてもなかなか眠れない。

冷凍庫からアイス枕を取り出して頭を冷やしていたが、温くなってしまった。

俺は冷凍庫に保冷剤があることを思い出した。

ぐっすり眠っている女房が目を覚まさないように気を遣い、電灯を点けずに冷凍庫から手探りで保冷剤を取り出した。

そして、タオルに包んで枕にのせて寝た。

冷たいのでやっと眠ることができた。

 

次の日、女房は俺の枕の上にあるもの持って来た。

「なぜ、ショウガを枕にしたのか」と尋ねる。

保冷剤と思って枕にしたものは、なんと、ショウガをすってビニールパックに詰めたものだった。

すったショウガを薄い板状にして冷凍保存し、料理に使うそうだ。

 

俺はショウガを枕にしていたのだ。

ショウガネェだなあ。

 


おむすび

2014年08月06日 | 俺の女房は- - -

8月6日

今日女房は知人に誘われて、黒羽の食堂に出かけた。

新聞で紹介されたお店だそうだ。

おむすびセットとおやきセットを頼んで、二人でおむすびとおやきを1個づつ食べるそうだ。

女房は俺の昼食として、おむすびを作って置いて行った。

女房は食堂のおむすびを食べ、俺は女房のおむすびを食べるのか。

なんだか変な感じだ。

   (女房の作ったおむすびと茄子の漬物、ゴーヤのキンピラ)

 


ゴーヤのワタで天ぷら

2014年08月05日 | 日記

 

 

ゴーヤのキンピラを作ったブログを出したら、ワタも種も食べられるとコメントしてくれた人がいた。

俺はゴーヤのワタ料理の作り方を検索し、印刷して女房に作ってもらった。

ゴーヤのワタと紅しょうがの天ぷらだ。

食べてみたら、少しも苦くないので意外だった。

種は天日で干して乾煎りすると、酒のつまみになるそうだ。

 

レシピ ⇒ http://cookpad.com/recipe/1236412

 

 


ゴーヤ:俺と女房の役割分担

2014年08月04日 | 俺の女房は- - -

ゴーヤ初収穫、12本

 

     俺と女房の役割分担

①苗を植える - - - - - - - - -  女房 

②棚を作る - - - - - - - - - -  俺

③肥料を施す - - - - - - - - - 女房

④水やり - - - - - - - - - - - - 俺

⑤レシピ検索と印刷 - - - - - -  俺

⑥料理をする - - - - - - - - -  女房

⑦食べる - - - - - - - - - - - - 俺 と 女房

 

厳守事項 ; 女房の作った料理はまずくても、おいしいと嘘をつくこと。

     くれぐれも忘れるなかれ。\(^o^)/

 

今日の料理は「ゴーヤのごま味噌キンピラ」

レシピ ⇒  http://cookpad.com/recipe/2661654

 


ラジコンヘリで農薬散布

2014年08月02日 | 日記

 

 

 

ラジコンヘリコプターで田んぼへ農薬空中散布です。

この付近は、20年ほど前までは住宅の周りが田んぼでしたが、今では田んぼが住宅に囲まれています。

田んぼへ農薬散布が始まりました。

ラジコンでヘリコプターを操縦しながら散布していますが、住宅に囲まれたところなので作業がやりにくいようです


農薬空中散布

 


ラジコンで操縦


住宅の手前に着陸