躁鬱おばさんのプチ田舎暮らし

何かにつけうつつつと落ち込んでしまうわたしが、プチ田舎に引っ越すと・・・

豆ご飯

2007-05-14 22:08:05 | Weblog
毎年のことながら、無計画に植えるものだから、
今年はあまりにも畑が足りないので、ついにまた借りてしまった。
田んぼの中にある300坪くらいの広すぎる畑。
トラクターで耕されて草がない。
植えたいだけどうぞということだけど、
こういう畑を借りると、調子に乗ると後が大変なのは、以前経験済み。
これから草も元気に生えるんだから。
それで、少しだけにしようと思いつつ、やっぱり多く植えちゃうのよね。
さつまいもの苗を植え付けて落花生を播いてきた。

それから、
食べましたぞ~、豆ご飯。
畑のえんどうちゃんと、三角田んぼで作ったお米君で炊いた豆ご飯。
なんて美味しいんだろう。
生きてて良かった~良かった~良かった~。

ところで、今年は、えんどう豆が不作。
先日、母が作ったえんどう豆を送ろうかと言ってくれたけど、
なんとなくプライドがあって(どういうプライドじゃ)、
断りながらも、
今年は、思う存分食べられるかどうかやや不安にもなっていた。
(50を過ぎれば来年のことはわからないのだから、私にとっては大事なことなのです。)

ところが、昨日のこと、母の日の電話で、
「こっちはえんどう豆が豊作でね、近所の人たちもみんな困らされてるのよ。」
(みんなを困らせるえんどう豆って?)
多すぎて、もう冷凍庫はいっぱいになるし、どこの家も豊作で貰ってくれるところもないし・・・」
思わず、「送って!」
(プライドはどこへ~?)

それで、母のえんどう豆が届くより先に、
私の畑のえんどうちゃんを食べないと失礼にあたる気がして、
まだちょっと若いけど豆ご飯にしたのでした。
豆ご飯の3分の1はえんどう豆という、リッチなご飯です。
しばらくこれを毎日食べられる。(うれちいちい)

そうそう、友人から、鬱にはグリンピース(えんどう豆)が良いと、去年教えてもらった。
私の豆ご飯好きには、ちゃんとした理由があったのだと納得。
うふふ、鬱にもいいことあるのだ。(?)

満腹になったところで、明日は青梅で踊ってきま~す。




母の日

2007-05-13 22:20:38 | Weblog
スーパーのレジで、母の日のプレゼントだと言って、手のひらサイズのでかいクッキーを渡された。
それには「おかあさん、ありがとう!」の文字が書いてある。
スーパーの粋なサービス。
レジの女の子に、「私なんか、このクッキーだけよ。あなたがくれたのよ、ありがとう!」
女の子は可笑しなおばさんだと笑っていた。
そしたら、夕方娘から籠いっぱいの花が届いた。
やったぜ!
でも~なにか・・・そうだ、私は母には何もしてなかったんだわ。
急いで電話をかけたお馬鹿な娘。
ついでに、息子にも電話して、
「別に用はないのだけど、今日は母の日だから電話したの。」と言ってやった。
それで、いつもより長話をしたのだけど、
母の日だから付き合ってくれてるようだった。


なんでもない1日

2007-05-12 22:36:13 | Weblog
緑がつやつやの気持ちの良い日だった。
赤いイチゴが緑の葉の下からのぞいている。
ノバラが咲いた。ブラックベリーの花も咲いた。
それから、木苺の花も。
桑の実は少し赤味を出し始めた。

午前中は、和綿の種蒔きと落花生の種蒔きをする場所作りをした。
何年か前に植えた、ブラジルミニトマトが今年も勝手に芽を出した。
地這いのキュウリも勝手に芽を出した。
採り損ねた実(トマト、キュウリそのもの)が、土に還って、
その種から芽が出るから、かたまってたくさんだ。
しかもあちこちで。
間引きと同じで、どれを残すか(生かすか)迷うのが辛い。
しばらく見送り。
ケツメイシ(ハブ草)も、こぼれた種から芽が出ていた。
赤紫蘇やエゴマも。

午後からは、友人のうちに届け物をしたら、
丁度一人だからとお茶のみに誘われて、
ひとしきり歯医者さんや眼科の情報交換をした。
病院の話題か・・・老人だ~。
そのうち年金が加わるな。(笑)

夕方、涼しくなって松葉ぼたんの小さな苗を植え替えて、
じゃが芋に肥料をやって、夕陽を見て、
とうちゃんが英語の会に行ったので、のんびり夕飯を作りながら、
蛙の大合唱を聞いて・・・
今日もなんでもない1日でした。


とうちゃんの草刈

2007-05-11 21:22:59 | Weblog
シバ神のくせに、大風が苦手。
風神さん、吹きすぎだよ~。なにおこってんのよ~。
長く続くので珍しく頭痛がした。
電車が遅れたりして、通勤の方達も大変だったことでしょうね。

とうちゃんは朝早くから草刈機を持ち出して、
空き地の畑の周りの草を刈ってくれた。
以前は、余計な草を刈るのなんて可愛そうだと、
農道や畦の草を草刈り機で刈っている人を悪魔のように言っていたくせに、
いざ自分がやってみると、
散髪をするようにきれいになっていくのが気持ちよくて仕方がないらしい。
今では、車で走っていても道端の草が伸びていると刈りたい衝動にかられるとか。

それから、昨日は畑の草むらでヤマカガシ(蛇)と遭遇したのだそうだ。
蛇は鳥に襲われないように、草の陰にいる。
ちょっと恐くなっての草刈りでもあったようです。

ヤマカガシは気が小さい蛇で、遭ってもすぐに逃げてしまう。
姿が良く見えないくらい素早いのだけど、お腹がオレンジ色なので分かる。
気が小さいけど、苛められたり追い詰められた状況になると、噛み付くらしい。
(こちらはそんな気なくても、見えないで踏んづけたりするかもしれない)
奥歯で噛み付くと毒を出す。
その毒に対する血清を持っている病院は全国にも少しだけみたいで、
噛まれたら死を覚悟しなくちゃみたい。
マムシは、気が強くて近づくと襲ってくることもあるという。
これは近くの病院に、血清が常備してある。
ということは、よくある話なんでしょうね。
私はどちらも何度か見たことがある。
アオダイショウに「守ってね」と頼んでいる。

とうちゃんに綺麗に刈られた道路際を見て思い出した。
そうだ!ここに毎年2、3本のホタルブクロの花が咲くのだった。
あちゃあ、茅と一緒に刈られてしまった。
ごめんね、私が鎌で刈っていれば気が付いたのにね。
頑張ってまた芽を出してくれるのを待ってるよ。

綿毛の宇宙

2007-05-10 21:52:57 | Weblog
インゲン豆と綿2種類を播いた。
まだまだ播いたり植えたりするのが、おせおせで待ち構えている。
それどころか、庭の草がすごいことになってきているし~・・・・
なんか出遅れてるなあ、今年は。

なんて思いながら、鎌を持って庭に出たら、たんぽぽのまあるい綿毛になったのが、
完璧な状態であった。
綿毛が付いた種がひとつも飛んでいなくて、まん丸のまま。
日差しを受けて輝くと、まるで大宇宙みたい。
綿毛ひとつひとつが小宇宙で、集まって大宇宙。
完璧に出来上がった大宇宙。
急いでとうちゃんを呼んで写真を撮って貰った。
(茎にくっついている綿毛は他のたんぽぽのもの。)
しばらく見ていたけど、やっぱり綿毛は吹き飛ばしたくなる。
結構しっかり付いていたので、思いっきり吹いたら少しずつはずれてバラバラになって飛んで行った。
小宇宙がひとつずつ飛んで行った。
とうちゃんは、「形が壊れていくのを見るのはなんとも言えない寂しさだよ。」
と言った。
私は、「そうかなあ、どこまで行って、何が始るのかと思うといい気分だけど。」
というより、完璧なものは壊してみたくなる性格なのかも。
大宇宙を破壊した、わたしゃシバ神か?

こんなことでも、お互いの感じ方って違うんだとつくづく思ったのでした。

あっちの畑

2007-05-09 20:53:29 | Weblog
イチゴが旬です。
今がほんとのイチゴの季節。
イチゴってお店では冬とか春が旬みたいに思えるよね。
石油を使わないで熟れる自然の普通のイチゴは今頃なのです。
露地物って言うんだけど、ほとんど市場用には作られてない。
何でだろうね。
露地物の方が絶対に美味しいのにね。変。
熟れたイチゴを朝採るのはとうちゃんの係りにさせてあげている。

えんどう豆もそろそろ食べられそう。
うふふ、去年の我が家のお米もたっぷり残してますよ。
超美味しい豆ご飯が食べられる~。
今年は、ツタンカーメンのえんどう豆も味見できそうです。

とうちゃんが新製品の電動草刈り機で畑の周りの草を刈ってくれるというので、
午前中、あっちの畑へ。
あっちの畑は、全滅状態で見たくない!と言いたいところだ。
今年は、にんにくは隣の畑のおじいちゃんの圧勝。(にんまりしてるだろうなあ)
ソラマメもひどい状態だし、スナップえんどうまでほとんどなっていない。
えんどう豆類でこんなの初めて。
出た芽を次々鳥についばまれてしまったようだ。
がっくり。
おじいちゃんの畑の作物はすべてが元気で大きい。
(えんどう豆もしっかり育っている。)
愛なのだろうか、化学肥料なのだろうか?
きっと両方だ。

でも、不精者の私の畑にもそれなりにいいこともあった。
採り忘れのじゃが芋から芽が出て、植えたじゃが芋よりも大きくなっていた。
それも、まるで植えたかのように間隔がちゃんと取れて生えている。
それから、何年か前に植えたときのやはり採り忘れのラッキョウが今年も出ていて、
こちらも植えたみたいに育っていた。
あとは、そろそろ採り残しのカボチャの芽が出るのではないかと期待している。

家庭菜園を、もうひとり借りている60代の男性は、経験のない人で、
どうやっていいのかわからないと以前こぼしていたけど、
未だによくわからないらしくて、畑半分は使っていない。
草は1本も生やしたくないおじいちゃんの畑と、
いつも草の中に作物がある私の畑は両極端なので、余計にわからなくなっているのではと、
可笑しくなってしまう。

栽培用のフキが美味しそうに出ていたので、夕飯にと採って帰った。

昔々

2007-05-08 21:39:49 | Weblog
朝は濃霧で幻想的な風景だった。
山の中にいる気分になる。
側の水田は湖のようで・・・湖畔の宿で目覚めて、朝食に階下へと。。。
いきなり女中さんに変身なんだけどね。(笑)

緑づくしで、毎年のことなのに毎日感動なんだけど、畑も草の緑に覆われて、
今年はなんだかすでに負けている気がする。
試合の気力が不足気味。

田んぼが中止になったのは、半分はほっとした気分だ。
田んぼ中心、お天気中心の予定が立たない半年と、
楽しくてもあの重労働から解放されたかと思うとね。
でもね、自分の労働力や気持のエネルギーが自然のエネルギーと一緒になって稲を育ってて、
お米を食べることでその自分のエネルギーが自分に帰ってくるという循環から外された寂しさがあって、
田んぼの中の道路を車で走りながら、「稲が植えられた田んぼ見るのはちょっと辛いね。」と話した。
全てではないにしても、自分が育てて自分が食べるということで、
少しでも自然の循環の中にいることを、実感したいんだよね。
それに、なんといっても、田んぼの気の中にいるのは幸せなんだもの。

自分の手で自分の食料を得ることってすごく楽しくて、普通のことだった時代は、
みんなが生き生きと生きていたんだろうな。
農業もない昔々。(それを思うと「惜」しいか)
ウンチやおしっこも全部ダイレクトに大地に帰して、循環の中にしっかり生きていた・・・・うーん帰りたい。





田んぼは中止

2007-05-06 22:21:53 | Weblog
「お久しぶり~」
(写真:とうちゃん)

朝、ヒーリングダンスに行く仕度をしているところへ、
田んぼをお借りしているHさんから電話がかかった。
先日Hさんのお姉さんと、畑の側で立ち話をして、
Hさんが田植え機で指を怪我をしたとお聞きしていた。
明るいお姉さんなので「もう良くなったんだけどね。」とおっしゃっていたが、
5針も縫って、化膿しているとのこと。
それで、私達の田んぼのしろかき(平らにならす)はできないので、
来年からにして欲しいとのことだった。
田んぼとして出来上がっているのだったら、しろかきが出来なくても植えてみるのだけど、
なんせ、葦やマコモがびっしり生えていた所を、一度耕運機で耕しただけでは、
根っ子がちぎれていても、そこからまた生えてきているし、
手作業ではとてもとてしろかきは出来ないのだ。
昔の人はよくやったものだと尊敬する。

私達は趣味みたいなものだからいいけど、Hさんは専業の米農家だから、
とにかく、早く完治して欲しいと思っている。
ということで、本当に残念なんだけど、
田んぼ体験は出来なくなりました。

今年はどうしても、田んぼが出来ない年みたい。
ヒーリングダンスでもしてようっと。
今日は雨だったけど(雨だから気楽に)行ってきました。

子供の日

2007-05-05 22:13:27 | Weblog
シュロの花
(写真:とうちゃん)

とうちゃんが歌の仲間に誘われたミニコンサート(のはず)に行った。
本当は、今日はヒーリングダンスに行きたかったのだけど、
付き合って欲しいみたいだったので・・・・
ミニコンサートのはずが、おばあちゃんがいっぱいの歌う会。
なにこれ~、で途中で退場。
とうちゃんの早とちりだったのです。
でもね、歌詞を書いた冊子を会場で貸してくれたのだけど、
昔の唱歌って、自然の様子を歌ったのが多くて、
こんな素敵な歌詞だったのかと、いちいち改めて感動しました。
あら、私もしっかりおばあちゃんなのか。(笑)

その帰り道でのちょっと重い話。
暑かったので珍しくコンビ二のソフトクリームでも食べようと寄った。
飲食コーナーがあるのでテーブルに持っていって食べていた。
ふと、隣のテーブルを見ると、4人の女の子とお母さんが座って、
カップラーメンをすすっている。
女の子4人は一番大きい子は小学4、5年生くらいから、一番小さい子は幼稚園だろう。
そのうちの誰かが「今日もラーメンだね。」と寂しそうに言う声がした。
「明日もラーメンだよ。」と、他の子が言う。
添加物たっぷりのようなどぎつい色のカップ麺が見える。
お母さんは黙々と食べている。
どういう事情があるのだろうか。
いたたまれなくなって、早々にソフトクリームを食べ終えて出た。
私達が隣の席で、「このソフトクリームはまずいね。」などと言いながら食べているのを見ただろう。
やりきれない思いで帰って来た。
それでもまだ、母親が一緒にいるだけでもましなのかもしれない。
ぼろ布を着たインドの裸足の浮浪児達を思い出す。
ゴミを漁る子供達。
物乞いのために手足を折られる子供もいる。
そして、いまだ奴隷にされる子供も。
世界には、恐ろしくたくさんの悲惨な子供達がいるのだ。

今日は子供の日。






特訓しなきゃ

2007-05-04 20:46:07 | Weblog
田植え後の田んぼに写る夕陽
(写真:とうちゃん)

爽やかだけど、日差しは暑かった。
暑さの中で歩けるように訓練をするには、これから丁度いい。

先日、タッシリ・ナジェールに行った知り合いから写真が送られて来た。
アルジェリアの砂漠の中にある台地の岩に、
1万年わたって、無数の絵が描かれている。
『イングリッシュ・ペーシェント』に出て来る泳ぐ人や、白い巨人や、狩の様子、動物達などなど。
知り合いが送ってくれた写真の絵は、あまりにも生き生きとしていて、益々私を惹きつけた。
ピカソだかマチスだかが影響を受けたというこれらの絵は、
芸術の域を越えていると思う。
この、魂にダイレクトにドン!と入って来る感じは・・・そうか、縄文土器を見た時もそうだった。

写真の1枚を見た。
たくさんの絵が描かれている中に、
他の絵とはちょっと雰囲気が違う幼稚で漫画チックな大きな顔の絵が写っていた。
なぜか「あら!私!」と思った。
口には出さなかったのだけど。
とうちゃんも写真を見て、この顔を私だと言ったので可笑しかった。
大きな顔のその子(?)に呼ばれた気がしている。
きっと、会いに行くからね~・・・多分。

昔々、人々が生き生きと生きていた頃。
神様も宇宙人も人も動物も、いっしょに楽しく遊んでいた頃。
そんな頃があったはず。
あの子はその頃の私?なんてね。

タッシリ・ナジェール(水が流れる台地の意味)は、今は砂漠の中にある。
砂漠や瓦礫の山道を60キロ歩くらしい。
ツアーの旅程表を見ると、1日9時間歩く日もある。
手紙には「1に体力、2体力、3に体力、4に好奇心です。」と。
でも、砂漠の夜空は、眠るのがおしいほど綺麗だったとも。

という訳で、暑さの中で歩く特訓をしなくてはと思っているのです。
果たして、私の体力で、かの地まで行けるのやらどうやら。
そうそう、その知り合いは私と同学年になるお歳。
「今年の秋にもう一度タッシリ・ナジェールに行きます。」だって。
余程良かったらしい。