とんびの視点

まとはづれなことばかり

親子マラソン

2011年10月17日 | 雑文
10月も後半に入った。ランニングの方はまずまずで、16日までに119km走っている。何ごともなければ目標の200kmは達成できるだろう。昨日は10月の真ん中だというのに夏のような暑さだった。そんな夏のような10月の日曜日、家族で親子マラソンに参加した。

荒川の土手で毎年「タートルマラソン」という大会が開催されている。その中に「親子マラソン」というのがある。小学生の子どもと親が一緒に走るもので、距離は1マイル(去年までは2kmだったはずだ)。順位もタイムも他人と競う必要はない。親子で楽しく走って、手を繋いでゴールをするだけだ。我が家はこの大会に4年くらい参加している。数年は長男と僕か、長男と奥さんが走り、去年からは次男が加わったり、家族4人が2ペアで走っている。

午後1時半のスタートなので、11時すぎに家を出る。会場までは自転車で行く。土手まで2kmほど、そして土手から5kmほどの道のりだ。土手に出るとさえぎるものがない。夏のような日差しを浴びる。すでに土手では10kmかハーフマラソンのランナー達が走っている。いや、半数近くは歩いている。暑さのせいだ。みんな凄い汗をかき、表情も苦しそうだ。和太鼓の音や、応援の声がする。

ゴールを目指すランナー達と並走する。彼らは土手の下の道を、僕らは土手のてっぺんの道を自転車で走る。北区、荒川区の部分は舗装されているが、足立区に入ると土手のてっぺんの道は未舗装になる。草が生えた砂利と土のデコボコ道だ。とても走りにくい。自転車よりも脚で走った方が楽なくらいだ。後の席の次男が重く感じる。汗が流れてくる。1マイル走るよりよっぽど疲れる。

スタート会場で参加賞を受け取る。胸ポケットに「Turtle 40th~」とプリントが入った白いポロシャツだ。マラソン大会の参加賞に「当たり」は少ないが、今回の参加賞には閉口した。これなら参加賞分を「震災」や「ソマリア」への寄付に回してもらった方がよい。もったいない。

1時20分。親子マラソンの参加者たちがスタートラインに並ぶ。ハーフのランナーが苦しそうに次々とゴールしてくる。担架で運ばれてきた人もいた。僕が次男と、奥さんが長男と走る。去年と同じペアだ。(今年は入れ替えようと思ったが、こだわりの次男が言い張った)。我が家の子どもたちも周りの子どもたちもテンションが高くなっている。その場で走る真似をしたり、飛び跳ねたりしている。次男は、「とっくん(私のこと)のペース合わせるから、好きに行っていいよ」などと言っている。

子どもがはしゃぎおって、と一瞬思ったが、彼らもそれなりに高揚感を味わっているのだな、と思い直す。それは、僕が自分のレースの本番前に感じる高揚感と変わらないのかもしれない。だとすれば、僕は子どもたちと(時間と場所が違うとはいえ)同じ経験や感覚を共有していることになる。それは貴重なことかもしれない。

スタートする。次男は走るのは速いが、まだペースを維持しながら長距離を走ることはできない。(レース前の練習でも速く走っては止まる、ということを繰り返していた)。とにかく息があがらない程度に走り続けさせることが課題だろう。遅いペアを抜きながら、それでもスピードが出すぎないように指示を出す。

荒川を上流に向かって走る。向かいから北風が吹いてくるが、その風が生暖かい。次男の顔が赤身を帯び、頭や額が汗ばんでくる。アスファルトのコースを遅いペアが占めているので横の芝生を走る。緑も残っているがほとんど干し草色だ。走りながらちらちらと次男が僕を見上げる。大丈夫、そのままでよいと合図を出す。

そのころ奥さんと長男は後ろの方を走っていた。長男、前日くらいから「あご」が痛いと言っていた。マラソン当日、家を出る前によく見ると、右の頬が腫れている。もしや「おたふく」ではと思ったが、体調そのものは問題なさそうなのでとりあえず会場まで来る。レースが近づくに連れて、自己暗示でメンタルがやられ始め、走る前には「気持ち悪い」と言い出した。結局、ゆるゆると走り、次男よりも遅れてのゴールとなった。(レース後はすぐに元気になり遊び回り、おたふくでもなかった)。

折り返し手前で、前から速いペアとすれ違う。親子ともにしっかりした走りだ。一方、次男は走ることに飽きてきた。手足をだらだらとさせている。「息が苦しくないか」と確認して、少しペースを上げる。でもしばらくすると、また、だらだらする。僕の手を両腕でつかみ引っ張ってもらおうとする。残りは300メートルくらいだ。

もう少しだ、しっかり走れ、と叱咤する。周りの人たちも応援してくれる。少しずつ手足のバタバタ感がなくなる。のこり200メートル。表情もしっかりしてくる。息は苦しくないか、と尋ねる。大丈夫なようだ。あと50メートルはペースを維持して、そこから少しずつスピードを上げさせる。

「よし、少しずつスピードを上げろ。それでよい。おさえて。息は苦しくないか。」声をかけながら、少しずつ速くなる。短距離はめっぽう速い次男だ。スピードが上がるとフォームが良くなってくる。胸の下辺りに重心ができ、頭の上下運動もない。「よし、よし。そのままいけ。」手を叩きながら横を走る。ゴールまで50メートルを切る。周りとは違うレースをしているようだ。あまりの勢いに「ゴールは手を繋いでください」と声をかけられる。ゴール2メートル前で次男の手をつかみ、一緒にゴール。

息を切らし、顔を真っ赤にして、汗を流しながら、次男は満足そうな表情だ。しばらく遅れて、長男が「気持ち悪かった」と言いながらゴールしてくる。自己暗示で弱くなったとは言え、こういう時に逃げ出さないのはたいしたものである。(もともと長男は走るのが苦手なのだが、いつもいやがらずに参加する)。

飲み物を受け取ってしばらく休憩して、帰途につく。ほとんどのレースが終わる。ストレッチをする人、仲間内で打ち上げをする人、レジャーシートで眠っている人、足を引きずって帰途につく人、レース後の土手のちょっとゆるんだいつもの雰囲気だ。そんなすべてが秋の日で黄金色に包まれている。僕ら家族も包まれていることだろう。
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