走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

腰痛に関わる悲しい想い出

2013年09月21日 08時46分58秒 | 健康管理
大災害をもたらしていった台風18号が過ぎてからというもの、めっきり涼しくなって秋っぽくなってきました。先日の仲秋の名月は、天候にも恵まれ、大勢の方が夜空を見上げたことでしょうね。私は、9キロの月見ランを楽しみました。専業農家をしている親戚が、例年通りお彼岸でお墓詣りに来て、今年収穫した新米30kgをくださいました。一生懸命、田んぼで作ってくれたお米をいただけ、本当にありがたいです。恥ずかしながら、腰痛持ちの私には、たとえ30kgの物を持てても、あとで3~4日続く腰痛地獄が待っていますので、決して無理はしないように心掛けています。そこで、今回は、力持ちの次男18歳に新米を所定の場所へ移動してもらいました。

私の腰痛は、よく考えて見たら、中学で体操をはじめてからのお付き合いかもしれないと思えてきました。床運動が大好きで、バク転やバク宙をしたり、逆立ちしながら体育館の中を一周したり、柔軟性に自信があったので、女性の平均台で行う身体を反らしてブリッジしながら回転することも出来ました。同じ年齢のコマネチ(当時ルーマニア、現在はアメリカ国籍)がモントリオール五輪で10点満点を何度も出すような素晴らしい演技をテレビで見て刺激され、自分もいつかはオリンピック選手になってみたいとさえ思ったほどです。練習を頑張っても、体操には怪我がつきもので、しょっちゅう身体のどこかを故障していました。多分、腰も痛めたことがあります。

体操は、結局のところ高3まで続けましたが、きちんと指導できる顧問の先生や先輩方に教えて頂けたのは中1の1年間だけで、あとは体操の本を見ながら自己流でせざるを得ませんでした。一応は部活動をするために顧問の先生もいましたが、全く体操の経験や知識もない先生ばかりであり、私の夢は中1の3学期末に、体操部の顧問の先生が転勤していってしまったことで終わりました。それでも、なぜ体操を続けたのかといえば、普通の人ができないような難しい技をすることが楽しかったのだと思います。ちなみに、私の場合は自己流でしたから、2回宙返りや2回捻りのような技も出来ませんでした。鉄棒では、最後に宙返りをして着地することさえ無理でした。

高校卒業後は、体操を続ける環境も無くなり、今度は走る事に夢中になりました。当時は、ジョギングがアメリカから日本に伝わり、ブームになりました。練習をすれば、どんどん長い距離が走れるようになり、タイムも良くなっていくのが嬉しくて、つい自分の体力以上に走り過ぎてしまう失敗を何度もおかしました。膝や腰の故障がついてまわり、長男が生まれた平成元年には特に腰痛がひどく、定期的に鍼灸医院にも通い治療を受けていましたので、長男を抱っこすることもなるべく控えるようにしました。かわいい赤ちゃんを抱っこ出来ない父親は、寂しかったです。その分、スキンシップはとりましてけどね。その長男が、来月には24歳になるとは、時の流れは速いものです。(写真は、1983年の香港マラソンでの記念写真です。ランナーズ主催のマラソンツアーでしたから、月刊誌のランナーズにも掲載してもらえました。)

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