昭和57年4月に就職し現在の仕事に就いてから、30年近くの間に何度か考えたことはありましたが、きちんとした答えが見つかっていない問題:それは、「何のために働くのか?」ということです。生活していくためのお金を稼ぐことが最も現実的な答えでしょうが、それだけではないのは勿論です。思いつくままに書き出すと、誇り・生き甲斐・使命感・・・。
学生時代からの親友で、経営者として日本各地、時にはアメリカまで訪れ、精力的にビジネスをされているA氏は、「楽しくなければ仕事じゃない。」と述べられたことがあります。また、フリーライターをしている親友のB氏は、学生時代から好きだった山登りに係る仕事などを続けていますが、趣味と仕事は全く違うと話されていたことがあります。
その真意は、「時として、仕事となれば愛する山登りへの情熱や感動が減り、淡々と雑務をこなしたり、嫌なことでもしなければならない。」ということかもしれません。私自身、「働くことは生き甲斐」とまでは、未だに声を大にして言えない状況です。こんな私でも、不思議なことに、仕事中のほんの一瞬ですが、次のようなことを感じることがあります。
「自分は、他人に必要とされている。」「自分は、この仕事をすることで、世の中のためになっている。」「自分は、働くことで人間的な成長も出来ている。」「自分は、若手職員を、導き育てることが出来る。そして、仕事だけでなく、一人の人間としての成長を促すことが出来る。」「自分は、この仕事の大切さを理解し、携わっていることに誇りを感じられる。」
学生時代からの親友で、経営者として日本各地、時にはアメリカまで訪れ、精力的にビジネスをされているA氏は、「楽しくなければ仕事じゃない。」と述べられたことがあります。また、フリーライターをしている親友のB氏は、学生時代から好きだった山登りに係る仕事などを続けていますが、趣味と仕事は全く違うと話されていたことがあります。
その真意は、「時として、仕事となれば愛する山登りへの情熱や感動が減り、淡々と雑務をこなしたり、嫌なことでもしなければならない。」ということかもしれません。私自身、「働くことは生き甲斐」とまでは、未だに声を大にして言えない状況です。こんな私でも、不思議なことに、仕事中のほんの一瞬ですが、次のようなことを感じることがあります。
「自分は、他人に必要とされている。」「自分は、この仕事をすることで、世の中のためになっている。」「自分は、働くことで人間的な成長も出来ている。」「自分は、若手職員を、導き育てることが出来る。そして、仕事だけでなく、一人の人間としての成長を促すことが出来る。」「自分は、この仕事の大切さを理解し、携わっていることに誇りを感じられる。」