走快エイトの気まぐれ人生

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PTA役員に再挑戦

2007年04月09日 09時05分12秒 | PTA&学校(19年度~)
長男が小学校に入学した平成8年度以降、PTAとは長い付き合いとなりました。平成8年当時、PTA役員決めは入学式の後、教室へ戻って行われたのを覚えています。だれも立候補しない状況が続き、重い空気が流れていましたので、女房が親友から「一緒にやろうよ」と誘われ、夫婦で役員になりました。私にとって校外指導委員会がPTA役員のスタートとなりました。女房の親友は事務局になり、別々に活動することになりました。

前半は女房が都合の悪い時のみ、私が打ち合わせや会議に出席していたのですが、後半は私が殆どメインで活動していました。それを当時のA会長に目を付けられたようです。翌9年度は役員を免れたのですが12月にA会長と2人の副会長が自宅に来て、次期PTA会長を依頼されました。私は以前から町の体育協会陸上部で理事をしていたのですが、A会長も陸上が好きで何度も大会ではお互い選手同士という立場で知り合っている顔見知りでした。

また副会長の一人は女房の高校時代の同級生であり、残る一人も子どもが同級生のため幼稚園(3年保育)や習い事で親しく交際していた方でした。当然ながら、そんな3人に頭を下げられては嫌と言えず、平成10年度のPTA会長を承諾しました。その後、10年・11年度と小学校のPTA会長を務め、11年度には町内3校のPTAをまとめる町P連会長も兼任しました。退任後は、これで当分PTA役員はしなくてOKと思い込んでいました。

ところが、長男が中学1年生の時、教頭先生から「次期会長が決まらなくて困っている。町P連会長も兼任する年なので、なんとか1年で良いので」と懇願されたのです。当時のB教頭は教育委員会に出向していた時代、青少年相談員の担当もしていたので一緒にお酒を飲んだことも何度かありました。B教頭の顔をたてる意味もあり、15年度PTA会長となりました。ところが、後継者が現れず16・17年度も会長をするはめに・・・。

そして19年度は、広報役員を自ら立候補しました。女房が小・中で広報を経験しているため、間接的には広報の活動を垣間見ているので、多少の予備知識は持っています。13日の授業参観直後の学級懇談会で2・3年のPTA役員が決まり、その日に行われる全体委員会で今年度のPTA役員が勢揃いとなります。会長以外の役員は久し振りですので、胸がワクワクしてきます。素敵な出会いがあると良いのですが。
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