スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

塚原光男体操元オリンピック金メダリスト

2014-02-01 07:58:45 | レポ

1947年12月22日生まれ、東京都出身。メキシコ、ミュンヘン、モントリオール

の3大会で団体3個、個人2個の金メダルを含む計9個のメダルを獲得

月面宙返り(ムーンサルト)を生んだ体操日本の象徴的存在

アテネオリンピックの金メダルメンバー塚原直也選手は長男である。

これは男子団体5連覇を達成したモントリオールオリンピックの時の金メダル

因みに原価は10万円位だそうです

 

それでは、氏が熱い思いを込めて話してくれたモントリオールオリンピック

金メダルへの道、その逆転のドラマを聞いたまま書いてみます。

・5連覇がかかっていた大会。国民の期待感がものすごいプレッシャーになっていた

もし金メダルが取れなかったらどうなるのだろうと思ったそうだ

・レギュラーメンバーの内4人が金メダリスト、ライバルはソ連チーム

その顔ぶれを見ても日本チームが絶対的に有利との前評判だった。

・ところが試合直前にとんでもないことが起きた。

エースの笠松選手が突然盲腸に成った。

それでも我慢して試合に出ちゃえと準備していたが

3日前の明け方、救急車で運ばれた。こんなことが

起こるなんてとその時思ったそうだ。

一日遅れたら命がない程の状態だったと後で知った。

・その結果、予選ではソ連に0.5ポイント差で敗れてしまった。

・そしていよいよ決勝戦。通常は成績順で、日本チームは

一番不得意種目の「あん馬」からスタートの予定。大変な緊張状態でった。

・ところが、モントリオールに限って得意の「床運動」からスタート。

その当時は体操協会の会長がソ連人で当然ソ連が

予選で負けると予想し、ソ連チームの得意な「あん馬」

から、ソ連チームがスタートと画策をしたらしい。

・その当時は東西冷戦の真只中。会場は西側

の日本への応援がすごく、勇気づけられたと言う。

・ところが又々アクシデント。「つり輪」で藤本選手が

右足を骨折してしまって又大ピンチ。

・そして最後の種目の「鉄棒」。前の4選手が

完璧に終え、最後が塚原選手。

9.5以上ならば優勝。以下なら5連覇を逃す

ことになる。足がガタガタ震えた。

その時病院からかけつけてきた笠松選手の応援が聞こえ、

心の整理がついた。チームワークのおかげだと言っていた。

・そして演技、月面宙返り、1.8秒の間、無事

着地できるよう祈ったという。

・採点「9.9」。その時塚原は心からつぶやいた

「助かった!」 (秘話)

すごい話だった。一流の人のみが語れる内幕を聞き、

全然まだまだだナ―と痛感した。

そして塚原氏はロンドンオリンピックの総監督を務め、

メダル獲得の新記録を作った。

4年間準備してきたチームジャパン。

頑張ろう日本で毎日何らかのメダルを獲得をしてチームが盛り上がった。

それも 2011 3.11の大震災で、日本にエネルギーを

送ろうというのが大きな要因だったと語った。


最新の画像もっと見る