スミダマンのほのぼの奮戦記

~グルメ・旅・仕事・自然・地域~あらゆる出来事をフラッシュバック。

岡山城と後楽園

2015-06-15 07:36:12 | 旅 ~国内

  

川面に映える漆黒の城、岡山城。外観が黒い為別名「烏城」と呼ばれている。

安土城にならって作られた日本を代表する城郭建築で

城の研究には避けて通れない貴重な城だ。

慶長二年(1597年)に完成した。

半分は旭川、半分は堀に囲まれた岡山城の案内図。

岡山城入口の廊下門。昭和41年に鉄筋コンクリートで再建された。

発掘調査で発見された石垣の実物を展示してある。

江戸時代に成ると、進歩した城普請の技法で増改築を行い、

石垣はそうした時代の変化の中で役割を終え、埋め込まれて行った。

本丸内で戦火を免れた唯一の建物の月見櫓。

元和・寛永年間(1615~1632)に建てられ、国指定重要文化財である。

表書院(藩庁)の南端から本殿(城主住居)へ上がる石段の入口に設けた渡櫓門。

普段はこの門は閉ざされていたことから「不明門」と呼ばれている。

岡山城は天守台が北に大きく突き出た不等辺五角形の全国に例のない

珍しい形の城で57万4000石の大大名宇喜多秀家が築いた。

因みに、秀家は、秀吉の朝鮮半島への進改では総大将として出陣した。

明治初期の頃の岡山城の貴重な写真。

かつては櫓が35棟、城門が21棟あり、我が国を代表する名城であったが

昭和20年6月29日の空襲で天守閣、石山門を焼失した。

ここでも戦火で日本の文化財が失われたのだ。

現在の天守閣は昭和41年に鉄筋コンクリートで再建されたのもだ。

天守閣の最上階から撮った金の鯱鉾と後楽園。

旭川を挟んで岡山城の隣にある特別名勝岡山後楽園

城の中では役者絵と美人画の流れの「写楽と豊国」展が行われていた。

お殿さま、お姫さまに、無料で変身できる着付け体験をやっていた。

この日は「烏城おしろあそび」が開催中で甲冑着付け体験、

撮影コーナーがあり武士がモデルに成ってくれた。

天守閣に向かう途中に発見した国指定重要文化財岡山城西丸西手櫓

とにかく岡山市内を歩いて気がついたのは岡山市内の各ロータリークラブが

(駅前の桃太郎像をはじめ)各観光地に種々なものを寄贈していることである。

街造りに大変な貢献だと思った。

旭川にかかっているこの月見橋を渡って岡山城から後楽園へ渡る。

特別名勝岡山後楽園の案内図

兼六園、偕楽園と並び日本三名園と讃えられた、三百年の伝統が息づく岡山後楽園。

ここだけはまだ来たことが無く、今回で三名園全てに足跡を残したことになる。

くの字に架け渡された石橋が築庭当時の面影を伝える「廉池軒」。

建物を背にして立つ池や曲水など水が幾重にも広がっていく眺めが見どころ。

「流るる浪に夏のなき・・・」と歌に詠まれた流店。

建物の中に清らかな水路が通され、美しい色の石が見どころ。

庭廻りの殿様もここで一服した。丁度、菖蒲が満開で実に美しかった。

ここにも多くの外国人観光客が来ていた。ゆったりと流れる

和の時をどのように感じていたのか。

築庭当時は畑だったところに三代池田綱政がつくった築山の

「唯心山」。座敷からだけでなく山の上から眺めたり、

移り変わる景色を歩いて楽しめるようになった。

唯心山から見た中の島、御野島方向。

行った日は5月晴れの素晴らしい天気の日で時間の制約もなく

気の向くまま後楽園を思う存分、楽しむことができた。

中の島に架かる橋。一幅の絵のように撮れた一枚だ。

ふと目に止まった飛石。この一枚に何を感じますか?

かつて園内に広がっていた田畑のなごりで、中国周時代の田租法にならい

幕末に形作られた「井田」。大賀古代ハスは6~7月頃が見頃。

園内に美しく刈られた茶畑がある。江戸時代には、ここで作った

葉茶で藩主はお茶を嗜んだ。

福田茶屋で一服休憩。

吉備団子付お抹茶(300円)を戴く。

唯々ボーっとしてお庭を眺めていた。将に至福の時。

ストレスがサーッと引いていくのを感じた。

池田綱政が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立した観音堂の「慈眼堂」

藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた「延養亭」と「鶴鳴館」

園内外の景観が一望できる中心的建物だ。

巨岩を割って元の形に組み上げた「大立石」がある「花葉の池」

この池の横を新郎新婦が歩いてきた。将に日本の結婚式そのものだ。

能舞台に行ったら、丁度能の謡をやっていた。ここ後楽園には全ての日本があった。

 後楽園には江戸時代から鶴が飼育されていたが、戦後絶滅してしまった。

岡山の旧制第六高等学校に学んだ中国科学院院長の郭沫若氏から

そのことを残念がられ、2羽のタンチョウが贈られた。

岡山後楽園は岡山藩主池田綱政公が家臣に命じ1687年に着工。

元禄13年(1700年)に完成した。

全体面積144,000㎡芝生面積19,600㎡

唯心山高さ約6m、曲水全長約640m。

この庭園は明るく広々としていて日本庭園でありながら陰の匂いがせず

陽の空間が拡がる正に日本の名園であった。