思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

雷和尚

2008年12月13日 | 仏教
 長い引用文になりますが「講談社学術文庫 古典の叡智 諸橋轍次著」からです。

 平林寺に雷和尚と言われたおそろしい住職がおられたそうです。そこにある漢学者が行って問答をしかけた。「あなたがた仏教とはやかましいことばかり言っておるが、何の役にも立たない。われわれは仁の道を求めて修養をしておる。『造次にも必ずここにおいてし、顛沛(てんぱい)にも必ずここにおいてす』」。道を求めるためには、いかなる場合でも熱心にこれを求めるという意であります。
 ついででありますがこの造次(ぞうじ)というのは、ごく忙しい間という意味、顛沛というのは危急存亡の場合という意味であります。『論語』のことばであります。つまり儒者はいかなる場合でも仁ということを離れず道を求めている。それに比して{あなた方仏教徒は何をしておるのか」といってすさまじいけんまくで坊さまにせまって行ったのです。
 ところでその雷和尚何を考えたか知らないが、立ち上がるやいなや、その漢学者をパッと廊下に蹴落としてしまった。漢学者は昔の武士でありましたから刀をさしておる。それが足蹴にされましたからたまらない。しかも廊下の外に蹴落とされたのですから、もう黙っておるわけにはいかない。そこで刀に手をかけて上がってきて、その坊主を切ろうといたしました。するとその時に控えていた他の坊さんが出てきて、これはちょっとやさしい坊さんで、「まあまああなたのお腹立ちになるのも無理もありませんがしばらく気を落ちつけて下さい」と言って座につけました。そこでお茶を持ってきて一ぷくお上がりくださいとすすめた。漢学者はもう腹が立ってしょうがない。蹴落とされたんですからそれも無理はない。
 で、心の中はにえくりかえるように動揺しておった。そのため、この茶わんを受け取った手からぱたっと落としてしまった。茶わんからはお茶がこぼれる。するとその瞬間、そのおとなしい坊さまが、「ちょっと伺いますが、こういう場合には、あなた方漢学者はどうなさいますか」と聞いた。言われてみて、ふっと返答ができない。茶をこぼしてこれをどうするか。これは何か坊さまはむつかしい問答をしかけているにちがいないと、たじろいでおりますと、その坊さまは、にこにこ笑いながら「私ども仏教徒はお茶がこぼれたときにはその畳をふきますが」と言ってその畳をふいたというのです。
 全く漢学者は一本取られたわけであります。漢学者が負けた話で、私としてはちょっと気持ちが悪かったのですが、しかたがありません。この漢学者というのは明治時代の有名な外交官陸奥宗光のお父さんであります。これは実話であります。

  諸橋先生は、修養論の「四 近くに思う (5) 雷和尚」で紹介しています。
 論語の「学び思わざれば則ち罔(くら)し」からこの「近くに思う」からこの章は始まりまり途中に上記の話が出てきます。

 「その罔いのは近く思わざるからです。本当に近くに思っていればすべては明らかになる。」と言います。
  「朱子学」の祖の朱子自身には次の四つの戒めがあったそうです。

道は、
(1)高いところに求めてはいけない。
(2)遠いところに求めてはいけない。
(3)深いところに求めてはいけない。
(4)もっと平易なところにこれを求めよ。

これがその教えです。

 道はまた天地の間に遍満し、動物にも、植物にも、日常の生活の中にあるもので、道と言うものは元来すべての人間が行わなければならないものであり、また行い得べきものでなければなりません。と先生は語り、最後に二宮金次郎の「天地の経文を見よ」でこの章を終えています。

 今日の写真は、穂高の曹洞宗吉祥山真光寺の真民さんの「念づれば花ひらく」の石碑です。

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