思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

手動瞑想と一夜賢者の偈に思う

2018年10月30日 | 仏教

毎週日曜日早朝にEテレで放送される「こころの時代~宗教・人生~」は、人文学好きの私には勉強の場でもあります。

 先週28日は、「“今ここ”に気づく」と題した、日本人でタイで出家したプラユキ・ナラテボーさんの「手動瞑想」についての紹介でした。

 何が彼を仏教にひきつけたのか。お母さんが浄土系の幼稚園の保育士をおやりになっていた関係で仏教的な教えの環境で育ったようです。

 プラユキさんが自分の人生に大きな影響を与えた言葉ということで宮沢賢治作『農民芸術概論要綱』の序論の最初の方に書かれている次の言葉を紹介していました。有名な言葉で知っておられる方も多いのではないかと思います。

「世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

という言葉です。番組内では紹介された話ではないのですが、実はこの文章の一行前には次の文章があります。

「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい」

 賢治は幸福実現への道を

●近代科学の実証
●求道者の実験
●われわれの直観

の三点の一致から語りたい、ということです。プラユキさんは「世界ぜんたいの幸福」という他者に対するまなざしを強く持ち続け求道の道を選んだようです。

 現在プラユキさんが行っているのは、物事をあるがままに観察する「気づきの瞑想」の方法の伝授です。その核となる言葉として、「今ここに気づく」という仏陀の教(原始仏典の偈)えを伝えます。

過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるをおもうことなかれ
過去 そはすでに過ぎ去りたり
未来 そはいまだ到りざるなり
されば ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく 動ずることなく
そを見きわめ そを実践すべし
ただ今日まさになすべきことを
(原始仏教典「一夜賢者教」より)

これは「一夜賢者の偈」「吉祥(きちじょう)なる一夜の偈」とも言われる経典の言葉を日本語の韻を踏む訳で簡略したものです。

過去ブログで何回となく紹介していますが、個人的にとても影響を受けている偈です。

原典に近い訳は次のように書かれています。

かようにわたしは聞いた。
あるとき、世尊は、サーヴァッテッー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なる、アナータビンディヵ(給孤独)の園にあった。そこで、世尊は、「比丘たちよ」と仰せられた。「世尊よ」と、彼ら比丘たちは答えた。世尊はかように仰せられた。

「比丘たちよ、今日わたしは、<一夜賢者>なる偈について、また、その分別について語るであろう。よく聞いて、じっくり考えるがよろしい。では説くであろう」

「かしこまりました。世尊よ」

と彼ら比丘たちは、世尊に答えた。世尊は、つぎのように仰せられた。

「過ぎ去れるを追うことなかれ
 いまだ来たらざるを念(おも)うことなかれ
 過去、そはすでに捨てられたり
 未来、そはいまだ到らざるなり
 されば、ただ現在するところのものを
 そのところにおいてよく観察すべし
 揺らぐことなく、どうずることなく
 そを見きわめ、そを実践すべし

 ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
 たれか明日死のあることを知らんや
 まことに、かの死の大軍と
 逢わずというは、あることなし

 よくかくのごとく見きわめたるものは
 心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
 かくのごときを、一夜賢者といい
 また、心しずまれる者というなり」
( 原始仏教典南伝 中部経典131 一夜賢者経)

この経(偈)を身体の動作と共に学ぶ「手動瞑想の実践」が紹介されました。内容については再放送を参考にしていただきたいと思いますが難しいものではありません。

 要は今まさに自分は何をしているか、この場合、手の動作を行いそこに意識を合わせていくもので、原始仏教典をもとにした仏教の教えをする団体のには、動作を声に出しながら確認するというものもあります。

 大乗仏教の禅宗系の座禅では曹洞宗に見られるような只管打坐のようにひたすら坐ることを主とするものもあります。こちらの方な念を切る、心の今を切る、志向視点を切るという方向性があるように私は理解しています。

 どちらがどうだという話ではなく、今まさに何ごとかをなしている自己に気づくことなのだと思います。

 どのような方々がこのような瞑想法を学びに来るかということですが、プラユキさんの悩める人の話を聞いていると実存的虚無感の人や対人関係で実存的疎外感を感ずる人などがおられるようです。

 悩みに悩む人。「お前はこうだ。あのひとはこうだ。」と言われ続け、人を善人か悪人かと他者や自分を枠にはめないと生きられない人。・・・・

 劇団四季の有名なライオンキングという劇があります。劇中で王子を励ます言葉としてイボイノシシらが「ハクナ・マタタ」とくり返します。それは「くよくよするな」意味です。

 国文学者の中西進さんはこの言葉にとても感動したと著『ことばのこころ』(東京書籍)で語っています。

 人間の生きるコツはまさにそこにある。わたしはつらいことがあると「ハクナ・マタタ」と言おう。そして言葉を口癖にして明るく生きていこうではないか。

こう中西さんは結びます。

 私は今何について悩み続けているのか。

 「くよくよ」している自分、それに気づくことも救いなのだと思います。

 賢治の「世界ぜんたい幸福にならないうちは」は、世の中の人が幸福にならないうちは個人の幸福はないと、断言します。不可能性を転回する強い可能性希求が見えます。

 人は変わろうとする存在。メタモルフォーゼを期待する存在、そのように思います。


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