インターネット新聞JanJanに、李子雲+陳恵芬+成平『チャイナ・ガールの1世紀 女性たちの写真が語るもうひとつの中国史』(三元社、2009年)の書評を寄稿した。
>> 『チャイナ・ガールの1世紀 女性たちの写真が語るもうひとつの中国史』
本書を読み始めたとき、中国という激変した社会の様子が、ファッションにも反映されるのだろうという興味があった。それは浅薄な理解にすぎなかった。社会がファッションを要請し、ファッションは社会をときに追い越し、それを歴史として振り返ってみればシンクロしているのだ。
はじまりは上海だった。アヘン戦争などを経て、<帝国>という異物との接点であり続けた魔都である。いびつな力はいびつな流行を生み、駆動した。それがいずれは、新興国家・中国のいびつな発展という内部的な力によって駆動されることとなった。文化大革命もそのひとつだ。本書によってクロノロジカルな変貌を眺めていると、ファッションというものの怪物性さえ見えてくる。
纏足というしきたりがあった。孫文により、1912年、法令で禁止される。本書では、「“足”の解放」について、1歩を踏み出し難い世界への1歩だったとする。そして女性は“足”で立ち、外に飛び出し、新しい人生を広げた。この生活の変化が、都市の商業文化に影響し、社会が時代美女を創造し始める。何とも素敵な解説だ。
1930年代になり、カレンダー広告は、女学生をヒロインとするものからモダン奥様に眼を向ける。消費社会の進展が要請した姿であった。明らかに購買能力があり、成熟したイメージが新商品に沿ったものだったからだ。その後、左翼・職業婦人・勤勉・質素といったイメージの変貌を経て、文革期には勇ましさが主流を占めるようになる。
だからといって、上からの統制のためにファッションが変えられたとばかりは言えず、女性たちは緊張せずに自らを主張し、優美さを工夫したりもしている。つまり、政治社会からの1方向性ではないのだ。
マスメディアがキャリアウーマンのことである「女強人」を宣伝したころ、化粧は攻撃的な雰囲気を漂わせ、肩パッドもそれを引き立てている。このあたりは、80年代日本のトレンディドラマに代表されるイメージとシンクロするようで、ここに至ってのクロスボーダーぶりは興味深いものだ。
現代はどうか。グローバリゼーションも懐古趣味も交じり、アイデンティティの探求ぶりがそこには読み取れるのだという。現代の北京や上海の街頭風景の写真を見ると、日本を含めた他国と似ているようであり、独自なようでもあり、いずれにしてもファッショナブルで格好良い。現在進行形であるから、視線はもはや双方向で多方向に交錯している。
静かに興奮させられる面白さだ。