Sightsong

自縄自縛日記

金城功『ケービンの跡を歩く』

2009-08-11 02:12:19 | 沖縄

宜野湾市立博物館で、その界隈で掘り出された軽便鉄道(ケービン)の台座を目にしてから、ちょっとノスタルジックな気分での興味が湧いた。那覇空港近くのゆいレール展示館にも、幅が狭いケービンのレールをはじめ、時刻表や写真を見ることができた。

金城功『ケービンの跡を歩く』(ひるぎ社、1997年)は、そのゆいれーる展示館に、参考図書として置いてあったものだ。帰りの那覇空港の売店で探したら、あっさり見つかった。著者は元・沖縄県立図書館長。退職後、かねてからの希望であったケービンの跡を辿る作業を始める。

ケービンには3路線があった。すべて起点は那覇、現在のバスターミナルのところらしい。「仲島の大石」は、ケービン当時からある。そして全て、戦争のため1945年に廃線となった。

与那原線 那覇~与那原。所要32分(自動車で26分)。1914年営業開始。
嘉手納線 那覇~嘉手納。所要77分(自動車で60分)。1922年営業開始。
糸満線 那覇~糸満。所要67分(自動車で50分)。1923年営業開始。

3路線それぞれに1章が割かれており、駅や線路跡を探して歩いたり、現地の老人に尋ねたり、といった過程が順に書かれている。最初は、「スーパー○○の裏を北西に入り、30m歩くと・・・」という書きっぷりに困惑していたが、沖縄県の道路地図を横に開いておいて読むと、俄然楽しくなった。

たとえば嘉手納線。国道58号線にぴったり重なっていたわけではなく、集落や地形に沿って右へ左へとよれ続ける。逆に、58号が、米軍の都合のいいように開発したものであることもわかってくる。米軍といえばパイプライン通り。この、なかなか返還されなかった道に沿っても、ケービンは走っていた。宜野湾の真志喜か大山あたりで今度は58号の北側に出て、ターンム畑(田芋)の中を走る。パイプライン通りから離脱して58号を跨ぐのは、まさに宜野湾市立博物館近く、米兵の住宅がちらほらありそうな界隈のようだ。歩くスピードで書いているので、風景もゆっくり見えてきて面白い。


宜野湾、方向転換をする界隈のガジュマル Leica M4、Biogon 35mmF2、Rollei Retro400、イルフォードMG IV RC

比喩でなく、スピードは実際に遅かった。平均時速15km/h程度だったそうで、老人から聞き取ったエピソードがいろいろと紹介されている。例えば、

○上りでは自力で進めないことがあり、乗客が降りて押した。
○坂を上るために石炭をどんどん入れ、燃えきっていない石炭を外にほおり投げた。それで、サトウキビ畑でボヤが何回もあった。
○線路脇までキビが植えられていて、学生や機関手が時々抜いてはかじりついていた。失敗して落ちた機関手もいた。
○学生がよく飛び乗ったり、停止する前に飛び降りたりした。
○那覇の波之上祭のときには、多くの人がぶら下がるようにして乗ってきた。若者たちはまともに料金を払わなかった。

本書が書かれたのはもう10年以上前。既に、道路は大きく改変されていて、線路跡も駅舎跡もほとんどが姿を消していたという。あるとしても、「溝の中」といった具合である。しかし、歴史だけにとどめておくのはいかにも勿体ない。


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