Sightsong

自縄自縛日記

魯迅の家(1) 北京魯迅博物館

2007-11-17 23:59:34 | 中国・台湾

北京の城内西側、地下鉄阜成門駅の近くに、魯迅がかつて住んでいた家がある。場所はやはりわかりにくく、うろうろして辿りついた。敷地内に、博物館と旧居とがある。入場料は5元(85円ほど)だが、とても立派に管理されている。

博物館には、数々の代表作の原稿や本のほか、魯迅が使った筆や机、手紙、愛蔵品、日本留学時の資料など、さほど熱心な読者でない私も興奮させられるものが並べられている。デスマスクさえもある。

『阿Q正伝』(1921年)の展示されている原稿は、「第六章 中興から末路まで」の部分だ。城内から戻ってきて妙に羽振りがよくなった阿Qが、それまで阿Qを馬鹿にしていた人々から手のひらを返したようにちやほやされるところである。哀れな阿Qは、何を言われても、痛めつけられても、弱者として自分の居場所をしたたかに見つけ続ける。阿Qも、周囲の住民たちも、愚かで卑劣である―――それでも愛すべき人びと、などとは決してならないところが魯迅ならではだ。


『阿Q正伝』の原稿

『中国路地裏物語―市場経済の光と影―』(上村幸治、岩波新書、1999年)によると、この家に引っ越す前に魯迅が住み『阿Q正伝』を書いた四合院には、いまでは一般の家族が暮らしているらしい。その四合院の模型も、博物館には展示されている。執筆した部屋と暮らした部屋は異なり、また、『あひるの喜劇』に登場させた池も、同じ敷地内にあったようだ。なお、『あひるの喜劇』の主人公であるエロシェンコは、かつて日本に滞在したロシアの盲目詩人であり、竹橋の国立近代美術館に、中村彝が描いた肖像画がおさめられている。


『阿Q正伝』が書かれた家 左奥が執筆場所、右奥が暮らした場所、右手前に『あひるの喜劇』の井戸

『野草』(1927年)が連載された機関紙は、「過客」(竹内好の訳では「行人」)が展示されている。もともとこの連作は、統一感がなく、「過客」も唯一戯曲形式となっている。魯迅研究で知られる竹内好は、『野草』を、魯迅の根源をあらわしているものと評価している。確かに、ひとつひとつの生々しさ、書き手の意志の発露とそれに伴うノイズ、そして強靭さには圧倒されるものがあると感じる。魯迅は徹底的に愚なる大衆を描きつつも、それを告発したという単純なことではなく、自らを偽善も欺瞞も排した「孤独者」として追い詰め続けたのだろう。なかでも、「影の告別」は、暗黒=孤独、死、に向けて進んでいく男のマニフェストを切り詰めた文章にまとめた作品として、メキシコの作家オクタビオ・パスの『見知らぬふたりへの手紙』にも匹敵するものだ、と私は思っている。

「おれのきらいなものが天国にあれば、行くのがいやだ。おれのきらいなものが地獄にあれば、行くのがいやだ。おれのきらいなものが君たちの未来の黄金世界にあれば、行くのがいやだ。 だが、君こそおれのきらいなものだ。 友よ、おれは君についていくのがいやだ。とどまることが。 おれはいやだ。 ああ、ああ、おれはいやだ。無にさまようほうがよい。」 魯迅「影の告別」より


『野草』が連載された機関紙


日本留学時に描いて持っていた地図


『狂人日記』


ノーベル文学賞は要らないと知人に書いた手紙


魯迅自身のX線写真と体温のグラフ


存命中最後に書かれた手紙(内山完造に充てた手紙)


デスマスク


岩波文庫版『阿Q正伝・狂人日記(吶喊)』と『野草』