広場の一角にある焚火は作業時の暖をとるものでした。
広場の奥に集められている丸太や角材を細切れにしたものは、その焚火にくべるもの。
焚火の場所は丸太で四角く囲いがなされ、囲いには土が盛られていて、その真ん中で木材が燃されています。
そこに集まっている地元の方にお聞きすると、これから御神木(ごしんぼく)を運んできて、この広場に立てるのだとのこと。
「どこから運んで来るんですか」
「この先に万年寺というお寺があって、そこからみんなで運んで来るよ」
道祖神祭の御神木を、お寺から運んで来るというのが意外でした。
「御神木を立て終わるのはいつ頃でしょう」
「午後2時か3時頃になるかな」
昨年はすでに立ち上がっている「お飾り」(オヤナギ)を笛吹川上中流域で眺めました。
しかしその準備の過程は見ていません。
今日は、御神木を運んで来て、それに「お飾り」を付け、そして道祖神場に立ち上げるまでの一部始終を見ることができることになります。
これは全く思いがけないことであり、今日はこの向原地区にとどまって「御神木」の立ち上げの一部始終を見てみようと思いました。
万年寺に向かう40代の地元の方がいて、その人と一緒に話を伺いながら万年寺への道を歩いていきました。
万年寺は向原の北側にある山の麓(ふもと)にある浄土宗のお寺でした。
山門の前に至ると、山門右手に竹やぶがあり、そこへ竹を取りに入って行くメンバーと、山門左手の舗装された坂道を奥へ進んで行くメンバーがいて、その坂道を上がって行くと参道の先に万年寺の本堂がありました。
その本堂右手の縁側下あたりに多くの男性陣が群がっていました。
本堂前には1台の軽トラが停まっています。
まもなく男たちの手によって、本堂の床下から杉の長い角材が2本担ぎ出され、そのうちの1本が本堂の床下に収納された後、長い方の1本が担ぎ上げられて、その柱の先端から3分の1ほどの箇所が軽トラの屋根の上に架けられ、軽トラからはみ出た柱は男たち10人ほどによって肩に担がれました。
聞くところによると、万年寺の本堂の床下には3本の御神木が収納されており、かつて向原では三地区(上組・下組・中組?)で道祖神祭が行われていて3本の御神木が利用されたということですが、現在は上組と下組の2か所で行われているため、今日は下組の御神木を運び出すのだとのこと。
いったん引き出された後収納された1本は、かつて道祖神が行われていた地区の御神木であるようです。
現在は軽トラの上に一方を架けて、残りを男衆が肩に担いで運んでいますが、かつては車が通れるようなアスファルト舗装の坂道はなく、御神木を男衆が担いで石段を下りて行ったとのこと。
杉の角材の御神木は長さ20m近く(後で確認したところ全長17m)。
万年寺の本堂の床下の長さ(奥行き)は十間(じゅっけん・約18m)。
万年寺の床下は、全長17mの御神木を雨がかからないように保存しておく収納庫の役割をしていたのです。
軽トラと男衆に担がれた全長17mの御神木は、万年寺山門脇の坂道を向原の集落へと下って行きました。
続く
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