鮎川俊介の「幕末・明治の日本を歩く」

渡辺崋山や中江兆民を中心に、幕末・明治の日本を旅行記や古写真、研究書などをもとにして歩き、その取材旅行の報告を行います。

2009.9月取材旅行「御坂みち」中萩原~上黒駒 その1

2009-09-28 05:59:19 | Weblog
先日、山梨県立文学館において開かれている「開館二十周年記念企画展 樋口一葉と甲州」に行ってきました。企画展の期間は、9月19日(土)から11月23日(月)まで。せっかく甲府まで行くのだからどこを歩こうか、と考えた時、選んだのは「御坂みち」でした。「御坂みち」はかつての鎌倉街道。甲州から鎌倉へとつながる道であり、「鎌倉往還」とも「駿州東往還」とも言われていました。「御坂みち」(御坂路)は、御坂峠を越えていく道であり、一般的には石和(いさわ)を始点とし、下黒駒→上黒駒→駒留→駒木戸口留番所→藤野木(とうのき)→御坂峠→河口子ノ神→吉田→山中→籠坂(かごさか)峠へ達する道。籠坂峠からは、須走から竹の下→足柄峠→矢倉沢→小田原へ出るコースもあれば、乙女峠を越えて湯本に出るコースもありました。いずれも東海道に合流します。甲州から江戸へ向かう主要道路と言えば甲州街道ですが、かつては甲斐と鎌倉や小田原を結ぶ主要道路は、この「御坂みち」を利用するものでした。ここをぜひ歩いてみたいと思ったのは、樋口一葉の父である樋口大吉と、母である古屋あやめ(後の樋口多喜)が、安政4年(1857年)の4月に中萩原村を出立し、真下専之丞を頼って江戸へ向かう時に利用した道筋であることを知ったことにあります。中萩原村から江戸へ向かうのであれば、目の前の青梅街道を利用して大菩薩峠を越えて青梅経由で江戸に向かうか、あるいは勝沼に出て甲州街道を利用し、八王子経由で江戸に向かえばよい。私はそのどちらかを利用しただろうと思い込んでいましたが、しかし二人は、そのいずれでもなく、「御坂みち」を利用して、御坂峠と足柄峠を越えて東海道に入り、それから江の島や鎌倉を経て江戸へ向かっていたのです。出奔した当日(4月6日)は藤野木(とうのき)で宿泊。郡内山中(4月7日)→矢倉沢(8日)→大磯(9日)→鎌倉(10日)→川崎(11日)と宿泊を重ねて、江戸の馬喰町二丁目丹波屋に到着したのは、中萩原村を出て7日目の4月12日のこと。途中、藤沢では遊行寺に参詣し、江の島に立ち寄って、鎌倉では鶴岡八幡宮に参詣。川崎では川崎大師に参詣してから、羽田弁天に参詣し、そこから大森へ向かう途中で御台場の見学もしています。江の島や鎌倉の鶴岡八幡宮への参詣が目的の、「御坂みち」の選択ではないかと思われるほど。その一部を歩いて見ました。以下その報告です。 . . . 本文を読む