四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

荒ぶ走水の海

2024年03月24日 18時39分08秒 | 日々の歩み

 春分の日も過ぎたのに、寒の戻りにも似た寒い日が続きましたが、
これは「花冷え」と言うとのことです。気温が上がり桜の開花時期を
迎えているにも関わらず、一時的に
気温が低くなることを指すとのこと。


      「咲き初める 椿」

 そんな日に、富士山の見える走水海岸に出向いてみました。通常ですと、
3月も
中旬を過ぎると、この海岸からはすっきりとした富士山を眺めるのは
不可能と
なりますが、当日は東京湾を隔てて眺めることができました。

     「東京湾の果てに見える冠雪の富士山」

折からの風速10mを越える強い風の中ですが、何とか白銀に覆われた
富士山の雄姿を
デジカメで撮ることができました。
 この状況を知ってか、お馴染みさんも含めて、カメラを構えた方が
海岸にはかなり
訪れていました。

     「波荒ぶ 走水海岸」

 強風にあおられ3mを越える波しぶきをあげる荒れ狂う海を見ていますと、
古事記に記された
倭建命の妃である弟橘媛の伝説が、ふっと思い浮かびます。
前にも、このブログでも
記しましたが…。

 倭建命は東国に遠征中、妻である弟橘媛を伴って走水(現在の東京湾・
浦賀水道)を渡ろうとしましたが、大嵐に遭遇しました。この危機を
救うため、弟橘媛は
「私の命を捧げ、海峡の龍神の心を鎮めましょう」と
言い、海に身を投じました。その辞世の歌が
 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
           火中に立ちて 問ひし君はも
でした。
 その結果、海は鎮まり、倭建命は無事に上総国へ上陸できたと伝えられて
います。
その後、弟橘媛が髪に挿していた櫛が近くの海岸に流れ着き、
それを拾った土地の
人々は弟橘媛の遺品と知り、御陵を作って手厚く
葬ったとされています。

 これは、神話の世界の話でありますが、弟橘媛の御陵は諸々の変遷を
経て、
この走水海岸の上の丘陵の一角に「走水神社」としてまつられ、
現在に至っています。
 そんな神話の世界も、さもありなんとする荒ぶる海の様子が目の前に
広がっていました。

コメント (9)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする