ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

岩殿観音の銀杏 ・・そして薬師

2019-12-07 23:27:58 | 神社・仏閣

岩殿観音の銀杏 ・・そして薬師

 

岩殿山・正法寺 銀杏と観音堂

 

もみじといちょうの紅葉・・・

 

 

薬師如来・


薬師」は、どうやら密教と関係が深いらしい。
それかどうかは、詳しくは知らないが、薬師如来の寺は天台宗や真言宗に多いとも聞く。
最澄や空海が「唐」から帰国した時、、朝廷が「仏教の布教」を許さなかった事実は、歴史の教科書では、あまり多くを教えてこなかった。要するに、朝廷は、宗教が政治に関わることを極端に恐れたのだと思う。
そこで取った最澄や空海の活動は、全国に訪れ、道路や灌漑用水作り、薬草栽培と薬草院の設立、布施(街道の難所の宿泊施設)と簡易療養所の設立、天文学、鉱山の開発などであった。この知識の源流は、密教であった。そして、遣唐使の時培った新羅との交流で、多くの渡来人が朝鮮半島から渡り、最長と空海をサポートしたようだ。
最澄の弟子で、天台宗派の最大の全国の土木工事の実行者は、「円仁(=慈覚大師)」で、後に三代目の天台宗の座主になった。
「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」は、密教の経典の中の一説である。瑠璃がインド山岳の方の産出で、それ以外から見つからないことからも、そもそも密教は、インドから発生した宗教的教義であることが考察されるし、かなり古く、インド的錬金術も伴っていそうである。

12/6:天気:晴れ
放射線の投射は約15分である。AM10:20の予約だと約AM9:20に家を出れば、20分前頃病院には到着する。受付や待ち時間や、そのあとに診察があるときもあり、長くて1時間かかるときもある。そして・・・【complete】まで、あと7回のところまで漕ぎ着けた訳で、・・・。で、化学療法の方は、12/11:に三回目の最後の入院が決まった。
その日の治療が終わった後、ちょうど銀杏落葉敷の季節だと思い出し、「岩殿山正法寺」へ行きたくなった、確か樹齢700年?と聞く銀杏の古木の生命力に感動し、落葉と落葉敷きに魅了され、毎年の恒例の訪問となっていた。
銀杏の木の生命力に触れるのもよし、ほか・・薬師堂の「薬師如来の参詣」。
そして【complete】まであと少し・・


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