ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

小布施の栗羊羹

2015-09-04 19:53:40 | グルメ

小布施の栗羊羹

小布施の”栗羊羹”が届いておりました。


いつの頃からか、”小布施と言えば栗羊羹”、”栗のお菓子”が定番になっています。
栗の産地だそうです。
小布施栗を使った菓子に、栗羊羹や栗鹿の子などがあります。最近ではモンブランやマロングラッセなど洋菓子も作っているみたい。
こちらは、たまたま「小布施堂」ですが、「桜井甘精堂」、「竹風堂」もあり、この三家が、小布施栗菓子の御三家でしょうか。味の違いは好みでしょうが、いずれも根強いファンが付いています。

小布施栗の起源
小布施栗の起源にはいくつかの言い伝えがあります。
まずひとつは、弘法大師空海が諸国を旅しているとき、この地に立ち寄りを小布施と名付け、栗を三粒蒔き増えたと言う説があります。 しかし、全国には弘法大師がその土地の産業や奇跡を起こしたという言い伝えが至るところにあり、産業の発展を願う庶民の願いから生まれたもので 確証はありません。

さて”羊羹”ですが、・・
もともとは中国の料理で、読んで字のごとく羊の羹(あつもの)。これは羊の肉を煮たスープの類だが、冷めるとゼラチンによって固まり自然に煮凝りの状態となる。
鎌倉時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食が戒律、五戒により禁じられているため、精進料理として小豆を用いたものが、日本における羊羹の原型になった。
初期の羊羹は、小豆を小麦粉と混ぜて作る「蒸し羊羹」であった。蒸し羊羹からは、「ういろう」が派生。

小布施の街は、落ち着いていて清潔で、かなり気に入った街の一つです。
小布施とは? ・・・小布施は、長野県の北部、千曲川の東岸の町で、現在は 「栗と北斎と花のまち」として親しまれています。江戸時代は千曲川の舟運が発達し、交通と経済の要衝でした。
小布施の歴史 ・・・幕末に豪商高井鴻山が、葛飾北斎や佐久間象山、小林一茶といった文化人を招いたことで、小布施は当時の一流文人たちの交流の地になりました。

小布施の布施って地名はどこから? ・・・
仏教の用語に”布施”ってありますが、自分の所有物を仏法僧や困窮者に分け与えることを言います。現在でも葬儀などの時の供養料などをお布施と呼んでもいます。
昔、修行僧などが全国を巡礼しやすいように、各地に官製の布施場を作りました。寝所と食料の施しの場所のことです。いわば無料の食事付き宿泊施設です。それぞれが、あまり豪華なところではなかったそうですが、その場所が地名として残り、現在に至っているところが多いようです。
”小布施”も、その一つと思われます。
 ・・・この知識は、南北朝時代に宗良親王を庇護した大河原(大鹿村)の文献を漁っていたときに見つけました。大河原にも布施という地名か建物があったようです。

ここ小布施には、巨大なサービスエリアのオアシス、「小布施ハイウェイオアシス」があります。今全国に竹の子のように乱立を始めた「ハイウェイオアシス」の先駆けです。サービスエリアと道の駅を併せて、休憩施設と売店と遊行施設を充実し、郷土館・民芸館などを併設しています。

下記の過去ログも参照下さい。↓

・小布施と岩松院 2014-06-15 18:16:40 | 日記  

 *岩松院 ・・・武将・福島正則 終焉の場所 ・小林一茶 「やせガエル 負けるな一茶 ここにあり」 ・葛飾北斎 「天井画」



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