ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

山田の中の一本足の案山子

2015-09-24 01:04:34 | 草・木・花 風に吹かれて

山田の中の一本足の案山子

ここは見沼田んぼの自然・・・


   童謡「山田の案山子」の唄発祥の地です。
既に刈田もあれば、稲刈りを待つ稲田もあります。
遠くの土手の赤い花は曼珠沙華、葉を落とした桜並木・・見沼東縁用水路の土手です。


案山子   武笠三

  山田の中の一本足の案山子
  天気のよいのに蓑笠着けて
  朝から晩までただ立ちどおし
  歩けないのか山田の案山子

  山田の中の一本足の案山子
  弓矢で威して力んで居れど
  山では烏がかあかと笑う
  耳が無いのか山田の案山子

武笠三のこと
見沼氷川公園”と“氷川女体神社”がある。
公園の中央付近に, 蓑と笠をつけたかかしの彫刻が建っていて, 副碑として 唱歌「案山子」の詩碑 もある。... 碑文にあるようにこの地で生まれ育った 作詞者の武笠が, この周辺の「見沼たんぼ」に立つかかしを歌ったもので, 「案山子」の歌は, 二年生用の文部省唱歌として 明治44年に発表された。 作曲は 山田源一郎, 作詞は 武笠三。 彼が 文部省で教科書の編纂に携わる間に作詞したものと言われる。

武笠三は、明治四年当地にある氷川女体神社の神官を代々勤めていた武笠家の長男として三室村(現浦和市宮本)に生れた。東京帝国大学卒業後 旧制四高, 埼玉県第一中学(現浦和高)、旧制七高で教鞭 をとる。明治四十一年文部省によばれ, 十七年間にわたり国定教科書の編さんにたずさわ った。「案山子」は第二学年用として作詞された。昭和四年没。

案山子とは関係ないが、武笠家は歴史のある家系です。
武笠三の生まれた武笠家は、”武蔵武芝”に繋がる氷川女体神社の宮司家を勤めた武笠家であります。詳しい内容は「みぬま物語」(井上書都羅)という書に記されていますが .... 巻末は、武笠家と武芝の関係など示す系図があり、武笠家の所有した古文書が付録されています。

武芝家
・更級物語 ・武芝寺
・将門記 ・足立郡司武蔵武芝
・氷川女体神社 ・宮司(大宮氷川神社・東西角井家の方が武蔵武芝家の庶流?不詳

 

詳しく知りたい方は 「武蔵武芝」(クイック)を覗いてください。

 

 

 



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