ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

護歌堂 札所五番 ・・・秩父巡礼 

2013-09-24 20:29:30 | 史跡

護歌堂 札所五番

        札所五番語歌堂

 秩父札所5番では美しい屋根の仁王門をくぐると、正面に三間四面の語歌寺の扁額のかかる観音堂が見えてきます。秩父札所5番は、昔、この堂を建てたのは本間孫八という分限者で、孫八は和歌の道に親しむ風流人でありました。ある日、ひとり堂にこもって歌想を練っていると一人の僧が訪ねてきて、話が好きな歌道のことに及ぶと大いにはずみ、二人は夜を徹して和歌の奥義について論じ合いました。翌朝孫八が目を覚ました時、旅の僧の姿はすでになく、のちにこの僧こそ聖徳太子の化身であったことがわかり、孫八はこの堂の名を語歌堂としたといいます。

語歌堂 住所:秩父市横瀬町下郷6086   

ここに、納経所はありません。

少し離れた場所に長興寺があります。納経所なっている臨済宗南禅寺派『長興寺』は歩いて数分、250メートルほど離れた山側にあり、花々が楚々と咲く手入れの行き届いた寺であります。

               「語歌堂の納経所、長興寺」
 
屋根に、金地の紋らしきものが三つ並んでいます。住職夫妻がいたので尋ねてみたら、小川山長興寺の「小川山」の山号で紋ではないようです。少し変形文字なので、間違えたみたいです。いろいろ話していたら、この寺の紋は、立葵とのことです。
家康が幕府を立てた時、松平・徳川家のみが「葵の紋」を使用を許され、一般には「葵紋」の使用を禁じました。しかし、それまで葵の紋を使っていた名家だけは、それまで通り使用を許しています。
 
葵の紋は、松平・徳川家が三つ葉葵(茎なし)で、賀茂神社系は双葉葵、立葵(茎あり)は善光寺系とされます。家康の参謀だった本多正信の本多家は、善光寺系の本多家で、うそかまことか、善光寺の祖である本田善光の末裔だといわれています。
 
長興寺は、そのように考えると、善光寺の末寺と言うことになるのでしょうか。・・・最後のこの点は、住職夫妻に確認できませんでした。・・・後日、ここを訪れて、紋に興味をお持ちの方は、ぜひ確認してみて下さい。
 
・・・・・以前、集合であったのものを独立させて、編集しました。
 
 
 


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