ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

松山城・跡

2018-02-12 19:29:59 | 史跡

松山城・跡

 

承前 ・--- 川島・道祖土氏

 

吉見百穴というのがある。大陸の墓の様式だそうだが、だとすれば、この地方の古代は渡来人の郷ということになる。


 

 その百穴への引き込みの道路の反対側が険しい懸崖になっており、岩室観音堂があり、「観音像」が安置されている。この岩室観音堂の背景地が松山城跡になっている。

 

 

  

岩室観音堂から松山城跡地に行くことは出来るようだが、かなり難儀のようなので、舗装の坂道を観音堂を裏手に回り込んで入って、松山城跡へ上る。

                

入り口付近にある「案内板」

 

武蔵国中原の要衝・・
・松山城の築城は、扇谷上杉氏の部将・上田氏・
・当初は、下総国古河の古河公方と上野国の山内上杉氏に対する鼎立抗争の前線拠点・
・その後、膨張する小田原・北条氏に対する拠点となった。河越城が北条氏綱によって攻め落とされ、さらに松山城も攻撃を受けたが、城主・難波田憲重らが撃退し、松山城は上杉朝定の居城となったが、やがて小田原北条に敗れる。その後も小田原北条の軍門に下るを潔しとしない大田資正らが、上杉謙信の力を借りて、松山城を奪還する・・その後も・・・


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