ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

金剛寺  ・・・ 川口八景

2014-09-14 21:50:35 | 史跡

金剛寺  ・・・ 川口八景

所在地:川口市大字安行吉岡


曹洞宗・山号・富雙山 ・・・入間郡越生町龍穏寺の末寺。
室町時代・明応五年(1496)に、豪族・中田安斎入道安行の開創。

 ・・・ この人物名・安行・”やすゆき”が「あんぎょう」の地名の由来。


七福神のレリーフ ・・碑

縁起 ・・・当時戦乱の世で中田氏自身も多くの人々を殺傷し、その罪業に苦しみ、
当地を行脚していた禅僧に出会い、吉岡の地に草庵を結び、金剛般若経で供養した、という。
この縁で、この地に伽藍を造営し、その禅僧・龍穏寺庵良を開山とし、
自らは開基となり、寺名は金剛寺として開創した。

 

 


江戸時代に三代将軍家光により御朱印十石を賜り、門派は十数寺に及んだ。

伽羅木

 

萱葺きの四足門

山門は桃山様式の四足門、市内最古の棟門。

墓地には県指定旧跡『安行植木開発の祖 吉田権之丞の墓』がある。
当山十九世海牛禅師開始の灸施療は有名で、現在も『お灸の金剛寺』として有名。



吉田権之丞は、文献等の資料が少ない。

伝聞では、権之丞は、草花や盆栽に興味を持ち、珍しい草木を集めたところ、
土質・風土が適合し、その生育がよかったという。
権之丞の子孫である吉田家は、現在も安行地域で植木業を営んでいる。
 ・・・これが安行植木の始まり・・・

なお、中田安行(安斎入道)と吉田権之丞との関係を示すものは不明。檀家の一つ?


中田安行は、岩槻城・太田家の家臣だったと言われる。
 ・・・ 殿山城・現金剛寺の場所
 ・・・ 『新編武蔵風土記稿』によれば、吉岡将監の居城とされる。
将監は中田安斎入道安行の子で、太田資頼に仕えていたとされる。
吉岡氏のその後は不明である。

 

金剛寺・入口


 

謎の 宝鱜印塔 塔笠が落下

○○居士・姉 ・・とは、墓なのか?!

 

 ・・・ 山門の前の参道の”もみじ”は一見に値するという。11月末から12月始め。

コメント
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