ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

そば屋・”萱” と 浪漫人夢二館

2014-09-07 16:35:10 | 建造物

そば屋・”萱” と 浪漫人夢二館


長野・戸倉で、そば屋で昼食をとる事になった。
予備知識なしである。そのそば屋は、地元の老舗で、”萱”といった。

そば屋老舗 


誰かと同伴でもなければ、食事に”そば”を選ぶことは滅多にない。

たまに選ぶとしたら、急ぎの空腹充たしで、駅蕎麦がせいぜい、それで満足の輩である。
そこのそば屋・”萱”は、有名らしく、席順待ちで待機組が五組ぐらいの満席である。
食事は、蕎麦と天ぷら盛り合わせを頼んだ。

天ぷらの中に、キス天代わりに”鮎の天ぷら”が入っていた。
蕎麦の話はこれまで ・・・


浪漫人夢二館 ・・・


面白いものを見つけた。
「浪漫人夢二館」である。なんで、ここに、"竹久夢二”館があるのか? ・・・


実は、この蕎麦屋・萱は、地元の酒蔵・坂井酒造の蔵元で、旧家・資産家の屋敷跡らしい。
この坂井酒造は、酒造の他に戸倉に温泉ホテルも経営した。
坂井銘醸と経営を同じにする戸倉温泉の老舗ホテルの笹屋ホテルである。
このホテルに竹久夢二が滞在し、数々の作品を残したという。

そういえば、夢二は、旅先に長逗留して、作品を描いたという。
そのうち、三つぐらいが記憶に残っている。


 渋川・伊香保温泉 旅館名は特定されていないが、柳宗悦に賛同して、ここに美術学校を計画した。*参照
 松本・浅間温泉  松本館                     
 金沢・湯涌温泉  山下旅館(現・お宿やました)        など ・・・

*参照・

思想家・柳宗悦による民藝運動は「健全な民藝の保存・普及・発展を図る目的」で
1926年に提唱され、東京の日本民藝館は10年後の1936年に開設されました。
それに呼応するかのように、夢二が『榛名山産業美術研究所』構想を提唱したのが
1930年でした。ここでは若き芸術家たちのコロニーとして、あるいは生活と
結びついた美術と産業の融合で、手工芸による産業の創出を目指していたのです。
また、商業美術(後に言われるグラフィック・デザイン)の概念を描いていたようです

 そこに、追加されるのか?

その他に、酒蔵の開放・展示もある。

  

  

売店は、酒屋、雑貨小物、カフェ、蕎麦屋 ・・・


本当は、上山田の、有名ラーメンや”大黒食堂”のラーメンが食べたかったのだが、

”夢二の足跡”も、それはそれで、美味しかった。

 

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上田城・見参!  百日紅 & 六文銭兜

2014-09-07 12:34:06 | 史跡

上田城・見参!  百日紅 & 六文銭兜

上田城・櫓門


猿飛佐助も滑った(か?) サルスベリ


真田兜 ・・六文銭カブト


真田神社&酒樽茶室

 


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