昨日の静岡新聞のオピニオンに前鳥取県知事の片山善博氏の論文が掲載されていた。
「品質管理怠る」との大臣選任の品質管理を怠ってきたこれまでの政治批判の一節に、「そもそも官僚たちに目標を与え、彼らをリードしなければならない立場なのに、あろうことか自分の国会での発言内容を部下に書いてもらわなければ務まらないのだから、大臣としては失格である。」とあった。
振り返って静岡県の新知事はといえば、
野党となった自民党県議から「がっかりした。知事の答弁は当局側の原稿を読んでいるばかりで、今までと何も変わらない。」といわれる始末。
改革派知事として高評価を得てきた片山氏と比較するのは酷であるが、そろそろ役人にリードされる御用学者気分を脱皮して役人をリードできる政治家になってほしいものだ。
8月29日に開催された第16回全国市民オンブズマン岡山大会において講演した片山元知事、テーマは「末期的な自治体財政から真の地方分権を考える」というもの。
いわゆるひも付き補助金、交付税の補助金かなどの弊害を指摘した上で、地方分権の鍵となる議会の役割について言及したのが「税率」の決定権であった。
現在地方自治とはいえ、実質、地方独自で税率は決められない。というのも、税率を下げればペナルティとして交付税を減らされるからだ。
議会は本来税率を決める場所。その上で、税の使い道を考えるべき所。
その原点に戻れば、議会は活性化するという。
無駄をなくせば税を軽減できるという目に見える成果がでるばかりでなく、増税してもやるべきかどうかという議論もできるからだ。
本来の仕事を奪われた議会に対する同情にも聞こえた。
また、憲法の地方自治の本獅フ住民自治の形として、重要な事柄を決める際の住民投票への評価もされていた。
首長選挙などの際に複数のテーマについて住民投票を行うカリフォルニア州の例をあげ、工夫次第でコストを抑えられることも紹介したが、本県の場合は住民投票条例否決後にこの機会が数回会ったことを考えれば、なぜ安易に否決したのかと惜しまれる。結局、対立の芽は摘み取られることなくしっかり根付いて県民空港とはほど遠く日常会話からタブー視されている。
みんなで決めたという意識がほとんどの県民にないのが現実だからこうなる。今となっては、高い授業料だったということだ。
役人にも議員にもミッションがある。
片山氏は「だれのため、なんのため」という原点を振り返るべきを強調する。
その原点に戻れば、議論はあっても皆方向は違わないと知るだろうに、一度目が曇ってしまうとそのまま道を外れてしまうのが現実の弱い人間なのかもしれない。
国の役人には、この政権交代という絶好の機会に、ぜひ原点に戻って国家国民のためにその能力を発揮してもらいたい。
「品質管理怠る」との大臣選任の品質管理を怠ってきたこれまでの政治批判の一節に、「そもそも官僚たちに目標を与え、彼らをリードしなければならない立場なのに、あろうことか自分の国会での発言内容を部下に書いてもらわなければ務まらないのだから、大臣としては失格である。」とあった。
振り返って静岡県の新知事はといえば、
野党となった自民党県議から「がっかりした。知事の答弁は当局側の原稿を読んでいるばかりで、今までと何も変わらない。」といわれる始末。
改革派知事として高評価を得てきた片山氏と比較するのは酷であるが、そろそろ役人にリードされる御用学者気分を脱皮して役人をリードできる政治家になってほしいものだ。
8月29日に開催された第16回全国市民オンブズマン岡山大会において講演した片山元知事、テーマは「末期的な自治体財政から真の地方分権を考える」というもの。
いわゆるひも付き補助金、交付税の補助金かなどの弊害を指摘した上で、地方分権の鍵となる議会の役割について言及したのが「税率」の決定権であった。
現在地方自治とはいえ、実質、地方独自で税率は決められない。というのも、税率を下げればペナルティとして交付税を減らされるからだ。
議会は本来税率を決める場所。その上で、税の使い道を考えるべき所。
その原点に戻れば、議会は活性化するという。
無駄をなくせば税を軽減できるという目に見える成果がでるばかりでなく、増税してもやるべきかどうかという議論もできるからだ。
本来の仕事を奪われた議会に対する同情にも聞こえた。
また、憲法の地方自治の本獅フ住民自治の形として、重要な事柄を決める際の住民投票への評価もされていた。
首長選挙などの際に複数のテーマについて住民投票を行うカリフォルニア州の例をあげ、工夫次第でコストを抑えられることも紹介したが、本県の場合は住民投票条例否決後にこの機会が数回会ったことを考えれば、なぜ安易に否決したのかと惜しまれる。結局、対立の芽は摘み取られることなくしっかり根付いて県民空港とはほど遠く日常会話からタブー視されている。
みんなで決めたという意識がほとんどの県民にないのが現実だからこうなる。今となっては、高い授業料だったということだ。
役人にも議員にもミッションがある。
片山氏は「だれのため、なんのため」という原点を振り返るべきを強調する。
その原点に戻れば、議論はあっても皆方向は違わないと知るだろうに、一度目が曇ってしまうとそのまま道を外れてしまうのが現実の弱い人間なのかもしれない。
国の役人には、この政権交代という絶好の機会に、ぜひ原点に戻って国家国民のためにその能力を発揮してもらいたい。