思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ポール・ルイスの演奏会評、私の他、3名が書かれていました。「高み」「神々しい」「変幻自在」「美しい」

2015-12-21 | 芸術



検索してみたら、ルイスのベートーヴェン後期のソナタ3曲の日本公演を聴き感想―批評を書いている方は、3名いらっしゃいました。

抜き出してご紹介します。最後の一音が鳴り終わってから20秒間、静まり返り、拍手もできない演奏会でしたが、その訳が分かると思います。

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男性の方(王子ホール)

 「まるでミケランジェロのダヴィデ像のように、引き締まった肉体と、射抜くような鋭い視線と、石を握りしめて投げつけようとする強い意志をもった「人間の美しさ」を音にしてしまったような音楽は、心身共に充実し活力に満ちた彼だからこそ、そして、「さらなる高みを目指す」ことのできる人間だからこそ成し得た、気高ささえ感じさせるものだと感じました。」

 と書いているこの方は、高みをめざすことのできない自分の生に「寂しさ」を感じた、とルイスの演奏を聴いて強くショックを受けた様を日記に記しています。

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女性の方(名古屋公演)

ポール・ルイスの演奏は、ベートーヴェンの精神の力強さ、崇高な祈り、音楽が人々に与える勇気、全てを表現し、全身全霊を込めて、凄まじくも美しい人生の物語りを、高らかに奏でているような演奏でした。
昨年、母や友人と一緒に聴きに行って、すっかりポールの人柄にも魅せられたので、聴きに行くことになったのですが、やはり年配の女性ばかりなので、ルイスの体調は大丈夫だろうかという心配も、大いにしていたのです(※注・ルイスは腸の手術で来日できず、公演が2か月遅れた)。
なのでその迫力の音の表現を聴いて、心臓がドキドキしてしまったようです。
「マタイ受難曲」の合唱を練習している母は、イエスの Passion・情熱と重なってしまったようで、ポールが大変神々しく見えたそうです。

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男性の方(王子ホール)

演奏はというと、CDの端正な演奏とは異なり、まるでシューベルトの目(耳)を通したかのような、晩年の彼のソナタに非常に近い世界、幻想的で即興的な趣を持った演奏。
例えば、31番第3楽章の出始め、同じ拍で記述されている同音の連打でも、不ぞろいな付点リズムで演奏され、ためらいというかおずおずとした感じを受けたり、突然瞬間的に高速で演奏したり、あるいはノンペダルでポツリポツリと演奏すると思えばペダル踏みっぱなしで豊穣な音塊で押し捲ったりと変幻自在で、最後の3曲では聞いたことがない演奏(ある意味アファナシエフより自由かも)。もちろん、31番の最後の高揚感、第32番第1楽章の鬼気迫る演奏や密集するトリルが永遠に続いて欲しい、時よ止まれと願うほど美しかった第2楽章など、ダイナミックレンジ、音色、音の芯の硬さもCDとは比べ物にならないほどぜんぜん幅が広くて、ちょっと淡白過ぎる(詰まんない)演奏だなあと思う時もあるCDは、「基本設計図なんで、ライブに来てください」という感じ。でも王子ホールの来年の予定にはないんだよねえ、凸版でも紀尾井でも行くよー。

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