思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

受験エリートが偉い!という思想は、人間も国も滅ぼします。

2010-07-27 | 社会思想

受験エリートが偉い!という思想は、人間も国も滅ぼします。


多面的な人間の知性を、受験知に押し込め、ドリルに答えが書いてある問題を解くマシーンのような頭脳が一番優れているという歪んだ想念が蔓延しているために、なにもかも前に進みません。人間の生は貧しくなり、社会の問題は解決不可能になるのです。

受験競争の覇者に過ぎない知能の持ち主は、思想や哲学までも単なる技術として捉え、既存の価値観に従っているにすぎない自分の生き方を肯定するアイテムとして遇する、なんと愚かなことか。

そのような人間を「官」は重用し、肩書き人間を優遇する、これでは、とうてい民主主義国家とは言えません。民間人を登用する審議会は、実のところ官府の「主権在官」を補強するものでしかないのですね。オランダのウォルフレンは、何十年も前から、「日本の審議会は民主主義を破壊するもの」と正鵠を射る指摘をしていますが、真に優れた知性―問題解決能力がある頭脳は、既存のシステムの中にはないのです。受験知を集積したに過ぎない東大生・東大卒・東大教授が偉いという判断しかできない人間=頭脳では何事もなしえません。

例えば、今流行りの
ハーバード大学のサンデル教授の授業―「NHKのハーバード白熱教室」。
これくらいのことは、少し気のきいた人は昔から当然のこととして実践し、さらにサンデルの弁論術的手法や思考の限界を超えて、静かに深く思考し対話する哲学を私塾では(少なくともわたしは)何十年も前から実践しています。そういうことを何も知らない人たちは、サンデル授業程度で大騒ぎするわけですが、ほんとうに情けない話です。

わたしの個人的体験で言えば、なぜ、どうしての探求―哲学的な対話は、父と子の対話として幼少期からずっとしていたことです。

そういう一番大事な頭の使い方をせず、受験知一直線で生きてきた人が大学の教授になり、官僚になり、NHKや新聞社などのマスコミ人になる。そうだから、形だけの頭脳が幅を利かす歪んだ社会になるのです。東大主義の教育が大手を振るう社会では、「表層リコウ・深層バカ」が上位者・管理者になるのですから、魅力ある人間や社会が生まれるはずがありません。

もういい加減に気づいたらどうでしょうね。わたしが匙を投げる前に(笑)。


武田康弘

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田村哲夫氏が運営する渋谷教... | トップ | 「さん、君、先生」公共空間... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
カボシャールの香り (m)
2011-08-01 08:12:41
昔、校長室からとてもきつい香水の香りがしていたのを覚えています。あの校長は確かにプライドが高いでしょう。当時の言葉で印象に残っているのは、、、 答えを出すなら早くないと意味がない。遅くてはダメ、、、というような話し。ゆっくりしている私はダメなんだと思いました。できない人間をできるようにするというのではなく、できる人間が好きなようです。これって教育なのでしょうか?
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会思想」カテゴリの最新記事