思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「皇族と統一教会」の深い関係を示す写真。明治政府がつくった天皇教が、文鮮明の手本となった。

2022-09-07 | 社会批評

向かって左下1番目が統一教会教祖の文鮮明 氏
同2番目が三笠宮崇仁親王、   
同3番目が崔元福 氏である。

向かって左上1番目が常陸宮妃華子殿下、
同2番目が秩父宮妃勢津子殿下、
同3番目が三笠宮妃百合子殿下、
同4番目が高松宮妃喜久子殿下、

同5番目が教祖の妻である韓鶴子氏。

この写真は、1965年1月、統一教会のワールドツアーにて文鮮明教祖一家が日本に立ち寄った際に撮影された写真である。

尚、統一教会は1954年に設立された宗教団体であり、勝共連合が設立されたのが1968年である事から、三笠宮含めた各皇族は勝共連合設立以前から交流がありました。 1964年=日本で統一教会設立

 

児玉譽士夫、笹川良一、岸信介と文鮮明が自民党と統一教会の政治同盟を創設する過程で、天皇一家と文鮮明・統一教会との親身な関係を築いていたことは、1970年代から知られていたことです。
 
戦前戦中から敗戦後に引き継がれた日本支配層の深層底流に暗躍したフィクサーである児玉譽士夫と笹川良一は、天皇一家の後ろ盾です。
 
 岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は麻生太郎とともに天皇一家の姻戚です。戦前世界最大の資産家であった天皇裕仁の莫大な資産運用を戦後に引き継ぎ、自民党創立資金提供以来、天皇一家と自民党、そして文鮮明との親密な関係を極力ビジネスに最大限利用してきたのです。
 
町井久之を介して韓国軍事独裁と癒着し、莫大な日韓利権を貪った日本の夜と霧に包まれた支配構造には、自民党および天皇一家と文鮮明が深く関わっていたのです。
 
上の写真は、【統一教会教祖の文鮮明、および韓鶴子と会食する天皇裕仁の弟三笠宮崇仁、秩父宮妃勢津子、高松宮妃喜久子、三笠宮妃百合子、常陸宮妃華子の写真です】

 1960年代から70年代にかけて皇族一家は統一教会教祖文鮮明と会食し、リトルエンジェルスなどの統一教会のプロパガンダに参加しています。文鮮明、そして岸信介、児玉譽士夫、笹川良一朴正煕軍事独裁と連なる天皇一家です。

 統一教会は日本の天皇制を規範としています。1880年代に創作された近代天皇制は、カルト教組織として文鮮明の統一教会のモデルなのです。

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1 コメント

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同感。 (遍照飛龍)
2022-09-08 11:19:45
統一教会は「天皇制延命」のための「プロレスの悪役」でもあった。

けど、なんと「天皇制延命プロレス」の善玉と大手を振ってタッグを組んでしまっても、気が付かない・・
なんせ保守王道の安倍氏が統一教会の協賛者だし・・
そんな保守なり天皇という思想が「ただの狂人の妄想である。」って証拠でしょうね。

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