思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

セクハラ問題・人間問題を考える前提。人間関係とは通い合いであることの強い自覚を!

2018-05-10 | 恋知(哲学)

セクハラのみならず、人間の問題を考え語るときに必要なのは、「性」を肯定する意識です。

せまい意味での性交渉のみならず、スキンシップや視線の共有に始まる広い意味での性は、必要なもの・大切なもの・よいものである、という当然の前提がしっかり意識されないと、思考は歪んでしまい、有意味な発話はできません。

女も男も、年齢の上下もなく、広義の性への関心や欲望はとても強いものです。その質、求める方向性や程度は人により差異がありますが、食欲とならんで性欲を満たそうとするのは当然で、それ自体は正当・健全な行いです。ほんらい「性」はいやらしいものではなく、悦びです。必要ですし、大事な営みです。

もちろん、食欲にせよ性欲にせよ、それが肥大化すれば、心身を害して不健康・不健全になります。
その質や量の適切さについては、個人差が大きく、客観的基準は定められず、主観性の領域ですから、各々が、自分にあった質や程度を見い出す以外にはありません。

ただし、性の場合は、食と異なり、自分一人の問題ではなく相手との関係性ですから、それ抜きには成り立ちません、様々なトラブルが生じる原因はそこにあるので、性の問題は、最も根源的なコミュニケーションの問題だと言えます。心身全体を用いてのコミュニケ―ションですから、通い合いがあれば、深く強い悦びが得られますが、その反対に一方通行だと、最悪の結果となり、相手に酷いダメージを与えることになります。

性の両刃の剣で、最高のよろこびをつくる可能性をもちますが、(多くは)女性側にこれ以上はない最悪のダメージを与えるものでもあります。狭い意味での性行為に限らず、言葉や身体的な触れ合いでも、通い合いがあれば悦びが得られ、それがないと正反対の結果をつくります。

通い合いがあるのかないかで、一見同じように見える言葉や行為が、「よい」言動にもなり「悪い」言動にもなる。

性そのものはよいことだが、相互性のない「性「」は最悪となること、それを了解していれば、相手の嫌がることはしない、いやだと思うことは、いやだと明言し、態度に表すことが必須であることが了解できるはずです。

あまりに当然ですが、通い合い=相互性の有無がすべてです。

 

武田康弘


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする