きぼう屋

生きているから生きている

広島へむかって

2008年06月25日 | 教会のこと
日曜日の研修会後は
平和の旅in広島実行委員会がありまして
つまりこの夏に教会で行くわけですが


研修会後だからとってもおそくなったのですが
さらに
脳みそを研修会でフル回転させているもんだから
とても疲れもあったのですが

そういう委員たちが
しかし
とても楽しく
準備をすすめました

つまり
期待し楽しみにしている旅だから
準備もとてもたのしいのだなあと
とてもふつうのことに
今一度気が付きました

これは
他者の痛み
歴史の痛みへの
共感と想像力
そして
キリストによりつながる信仰
による出来事であることを
宣言してもいいだろうと思います

逆に

自分の内面
自分の気分
自分の持つ答え
自分のイメージやリズムやペース
にこだわる場合には
人といっしょにするプログラムは
期待も楽しみもないのだろうなあ

強く思わされました

昨日火曜日の祈祷会と
みんなでわいわいの
お昼ごはんのあと

このかん教会のみんなで折った千羽鶴を
糸で結んでいく作業を
これまた
楽しくわいわい行ってくれまして

それも
広島に行く人も行くことがかなわない人も
みんなで楽しくやってくれまして

これはもうひとつすごいことが起こっているなあと
感謝するしかありません

自分が参加できないプログラムの準備も
期待し楽しみつつできる
というのは

自分が参加できなくとも
参加する仲間がいるなら
キリストの体としてひとつであるからして
自分もつまり
参加しないけど参加するという
祝福にあずかることを
知っているからだと
これまた宣言せねばならないと思いました

こういうのが
信仰
というのだと思いました

さらに
祈って祈って
準備をしていきたいと思います