きぼう屋

生きているから生きている

ひとつの勝負

2008年06月18日 | 「生きる」こと
言ちゃん出産の場面は
なかなか楽しいものでしたが
それはまた今度ということで

本日は
同志社高校の礼拝の風景を

本日は高校2年生

チャペルがわけあって使用できないため
音楽室でひとつのクラスの生徒さんにお話をして
残りのクラスの生徒さんたちは
放送で聞くというものだったのですが

そういうものだったので
話し手と聞き手の距離が近くて
とてもたのしいものでありました

礼拝が始まります
でも生徒さんたちは
礼拝に興味なし!
という態度を競ってつくりだすという雰囲気のなかで
全身の筋肉から力が抜けた状態という
リラックス方法としてはとってもいい状態でありました



讃美歌を歌うときになったら
とってもだらだらと起立しまして

歌っているのはひとり
それもとっても小さな声
なわけで

これまた
競ってたるそうな状態をつくりだすというものでありました

しかし
チャペルとは違って
今回は話し手のわたしから距離が近いから

わたしは賛美しながら
ひとりひとりの目をじっくり見ていくわけでありまして・・・
すると
急に固まる生徒さんもいれば
苦笑いする生徒さんもいれば
目をそらす・・・
下を向く・・・
などなど
たぶん見られた生徒さんの立場からすれば
どのような態度をとってよいのかわからなくなるという
不思議な緊張感を強いられてしまうという
まあ
かわいそうだけど
楽しいという
そんなことをしながら

讃美歌が終わると
今度は
誰が一番早く座るかという
それこそ
すべての筋肉が見事に連動してすばやく動くという
見事な運動的競争が起こりまして

ふき出したいのをがまんしていたわけです



わたしの話の番がきまして

「おはようございます」
というけれども
そりゃあ予想どおりでございまして
まったく反応がありません

シーン

というわけでございますが

無言でみんなの目を次々と見ながら

「そんな話し手がさみしなることせんといて
 帰りたなる
 きてよかったあって思いたいし
 もう一回やろか
 いくよ
 おはあよおうーござあいまあす」

ということで

こうなると半分くらいはカンネンして
「おはようございます」
となるわけでして

「うん
 えらい
 きてよかった」

なんてわけわからんこといいつつ

お話のはじまりですが

「おひさしぶりです
 前回は2月にきてこんなん話したわけですが
 覚えてますか」

と聞いてみたら
みんな顔をあげるではないですか

ちょっとこっちがびっくり
よーく覚えてくれているわけです


「本日はその続きで
 わたしの反省編です」

ってな具合で
あとはみんなじっくり聞いてくれまして

帰る際には
「ありがとうございました」
と言ってくれる生徒さんまでおりまして

そうなんです

高校生は
ちゃんと話せば
ちゃんと聞いて
ちゃんと記憶している
つまり
自分のテーマとしている
わけであります


このわたしの話には
さらに続きがあります

それは次回
11月ということで・・・


10年も牧師をまじめにやっておりますと
こういう
何度か回数を経て
原稿なしで
聞き手とのやり取りのなかで
自在に変化しながら
しかし本質ははずさない
というネタは
いやでも数十本はたまるわけで


しかし
高校生相手のときは
この数十本のみで勝負するわけでありまして

これは

話し手としてはとっても楽しいときなのです

というわけで

この三日間は
第五子である長女の誕生もあって
とっても楽しい時でした

感謝感謝