きぼう屋

生きているから生きている

成熟

2008年06月16日 | 教会のこと
何度も書いておりますが
京都教会に赴任して10年目

いま
小さい子どもが毎週毎週変化するように
毎週毎週教会が変化します

なにしろ
みんなよくしゃべるように
どんどんなっています

教会にきたら
口を開きっぱなし
というくらい
しゃべりまくっています

教会学校のクラスは
いつも延長します

昨日は各会の例会でしたが
こちらも延長


讃美する声量も
どんどんあがっています

昨日の聖歌隊練習は
20名以上が参加

昨日から
しばらく教会にくることのできていない人に
週報だなにたまった週報などを送る作業を
各会ですることになりまして

これは教会の本質的には
きわめて大きな一歩であると認識しています


いま
キリストの体というテーマで
みんなでひとつの体であり
ひとつの体がキリストのかたちでもある
ということを
体感する仕方で
教会の運動が進んでいますが

もうひとつそろそろ付け加えたいと思っています

それは
他者を受けるゆえの自立
というものです

これを体感できる運動を
ぼちぼち考えていきたいと思います

他者というのは
教会に不思議と招かれた仲間であり
またキリストです

他者との関係を
十字架であり復活であり希望である
そういう関係を受けつつ

しかも具体的にうけるゆえに
十字架と復活と希望を体感するという
そういう関係を受けつつ

ゆえに
キリスト人格として
成熟することを

京都教会は
目指します


昨日最後は
教会広報プロジェクトでした

ホームページは
写真コーナーと素材コーナーを設けることになり
また携帯サイトをつくることになりました

あたらしい教会案内パンフは
だいたいのイメージができました

えらい楽しみです



Sちゃんは
そのあと梅田で
関西地方連合の音楽委員会ということで
もう感謝して
ほめて
祈るしかありません

お疲れが出ませんように


今週の土曜日は
美登恭子さん(東八幡教会員)をお迎えしての
奏楽者研修会
でも実質は
礼拝奉仕者研修会

そして日曜日は
渡邉亶さん(恵泉教会員・連盟理事長)をお迎えしての
「バプテストの信徒」研修会

こちらも
えらい楽しみです

たくさん祈ります


反応

2008年06月16日 | 「生きる」こと
今朝は同志社高校で礼拝のおはなし
一年生でした

明日は3年生
明後日は2年生



チャペルからアスベストが発見されたとのことで
今回は
音楽室で
一クラスだけ直接聞いてもらって
ほかのクラスは放送で
という礼拝

「みなさんおはようございます
教室のみなさんもおはようございます」
みたいな礼拝

でした



聞いてくれている生徒さんの距離が
より近いので
じつはなかなか有意義なものでした

わたしは
聞き手の反応があって
はじめて次にすすむ
という

そういう話の進め方なので

どちらかというと
授業でのやりとりのような礼拝説教なので

わたしとしてはやりやすかったのですが

しかし
その場にいなくて
放送で聞いてくれていたみなさんには
ときどきへんてこだっただろうと思います

スピーカーから
音楽室の状況の中でうまれた会話が
流れてくるわけなので・・・

「誰か、なんか反応して?
反応してくれへんと先すすめへん」
「お!うないずいてくれました!ありがとう!
おや、先生ですか!えらい!さすが先生!
さすが同志社!いい先生がいっぱい!」

みたいのが流れたわけで・・・

そのあたり
すみません

しかし
いい高校です

我が家の経済事情では
同志社高校に息子たちをやることはできませんが

生徒たちや教師たちやスタッフたちや校長の
あいさつや会話や表情などを見ると
けっこうその学校の大切にしていることが
わかったりするだろうと思います

京都市立の自慢のH高校の
教師たちや生徒たちの
あいさつや会話や表情とは
正反対の感じのものでした

それはそれでH高校の目指していることもわかるわけです

こちらは我が家の経済事情でもなんとかなりますが
息子たちが行きたがらないと思います
(行くといったらわたしは反対しますが・・・)


というわけで

申し訳なくも

明日も
音楽室のみんなの反応を楽しみつつ
おはなしをしたいと思います

教室のみなさま
そのあたり
ご勘弁を