きぼう屋

生きているから生きている

人間

2008年06月06日 | 「生きる」こと
昨日は若菜さんの誕生日でした

夕食はなにがいい?
なんて聞いてくるもんだから

誕生日くらい休んでください
ということで

彼女が食べたいということで
ピザをとりました



昨日はそれでお腹いっぱいになったので
ケーキは次の晩ということになりまして

つまり
今晩も誕生会なわけです


若菜さんのお腹も
もうこれ以上ふくらまないくらいにふくらんでいますので

過去4回ほどその様子を見てきたわたしとしましては
ちょっと生まれるのが
予定より早くなるかなあ
と予想しております


それにしても
若菜さんは
えらいすごい人です

えらいすごい人だとわかって
あの若き日に好きになったわけですが

ここまでとは
当時はわかっていませんでした
はるかに
予想を超えています


なにがえらいすごいかというと

彼女は

徹底的に人間なのです

人間であることを一時もやめません

機械のようになったり
モノのようになったり

逆に
神のようになったり

人間ってのは
そうやって
楽をするもんなんですが

彼女は
どんなにしんどくても
人間でありつづけてくれますし

そのゆえに
人間でありつづけるたくましさを
日々獲得しているから

年々
ますます
えらいすごい人になっていきます

だから
年々ますますすてきな顔にもなっていきます

彼女が傲慢になったところを
見たことがありません

自慢もまったくしません

かっこうつけません

もちろん
よくあるような
自信満々だからこその
謙遜とか卑下もありません


常に
まんま
です



なんといっても
祈りの人です


当然
実のところ
わたしよりも
牧師的です


もっというと
わたしがいろんなところで発するテーマは
若菜さんの会話から気が付いたものが
ほとんどです

人間が人間でしかないところの人間として

という奇跡を
彼女からいただきつつ

わたしも
人間でいつづけられるよう
祈るばかりです


ちなみにこれはおのろけではありません
賞賛でもありません

恵みです


感謝感謝