きぼう屋

生きているから生きている

舞台

2008年06月02日 | 教会のこと
今週の週報巻頭言

今回も
教会形成がテーマ

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「コミュニケーション」

先週は
定期総会を開催することがゆるされ
感謝するばかりです。

総会は端的に
私たちが主イエスと一緒に
舞台上にあがっている!
ことを示します。

同時に、
キリスト者は観客席から主イエスを眺めはしない!
ということです。

主イエスと共に舞台に立ち続け、
そこで福音を表現し続けたいと願います。

さて、
私たちは教会の庭の整備について
話し合いを持っています。

これはもちろん
庭が整備されるという結果が期待されていますが、
それとともに、
この課題に
よってたかって
みんなでかかわることにより、
コミュニケーションが起こされるという結果をも、
わたしは期待しています。

教会はコミュニティです。
それは互いのコミュニケーションが行き来して成り立ちます。

つまり
そこにお客さんという形態はなく、
みんなが舞台上であらゆることを交わすという場です。

そしてその中で、
教会のあらゆる活動が動き始めます。
礼拝も各行事も奉仕も建築なども、
コミュニケーションなしには、本当は成立しません。

でも成立してしまう場合もあります。
それは舞台にいる人を一部にして、
他は観客席におりるという場合です。

雰囲気がそうさせる場合もありますし、
あえてそういう独占状況をつくる場合もあります。

しかし、
こういうお客さんの生まれる構図は、
罪の根の大きなひとつです。

わたしは、
庭の整備にどれだけ時間がかかってもいい
と思っています。

ここで私たち教会が、
コミュニケーションを身に染み込ませることができるなら
それまではずっと続けたいと思います。

すると、
60周年にむけて歴史を分かち合うことも、
コミュニケーションが染みるほどに成立するでしょうし、
礼拝や奉仕、日々の祈りも、
そこから新たな領域を与えられることが起こるはずです。

話は実は簡単なのかもしれません。

主イエスが一緒にいるから、
主にゆだね、
主にゆるしてもらいつつ、
だからこそ、
他者と共に生かされ、
コミュニケーション起こされる
わけかなあと思います。

これも、キリストの体の大切な業です。

わたしたちはキリストの体です。