きぼう屋

生きているから生きている

教会学校

2008年04月27日 | 教会のこと
本日の週報巻頭言です。


*************

「教会学校の教育」


バプテストは教会学校を大切にします。
それはあらゆる教派にある子どもの日曜学校のみならず、
全年齢層が学ぶ学校です。
そこでバプテストキリスト者は、
主体的な信仰と本当の意味での交わりを
身に染み込まそうとしています。

だからそれは同時に、
信仰の世代間継承、対話
としてあらわれているし
(他教派で教会員が激減する中で、
バプテストが微増なのは
教会学校のおかげと思います。
ただ当教会では、
主体性と交わり、継承というチャレンジは、
最初期の段階です)、
さらには、他教派が激減する中で、
教会が保守的になるところが多く、
メンバー増加のみに集中しはじめた中で、
バプテストは、
メンバーの人格訓練を、
隣人と出会うプログラムにて開始しています。

これは、
教会教育が、
知識や技能の習得、伝統や教義の洗脳
を目指すのではなく、
世界のすべてと共に生きることと死ぬことを、
信仰と希望と愛、
さらにはキリストの十字架と復活
から深めることを目指すからこそ!
のことです。

だから
教育というより教養
というべきかもしれません。
「教養」は英語で「カルチャー」です。
「文化」と訳されることが多いのですが、
語源は土地を「耕す」というものです。

つまり教養とは、
いのちと世界が常に活きるように、
耕し続ける行為です。

大概いのちや世界は、
伝統、慣習や
安心できるかたちや思考で
ガチガチになり、
逆に活気がなくなります。
だからそれを耕しやわらかくするのが
教養なわけです。

伝統と文化を並列で用いることが多いのですが、
伝統をバリバリ打ち破り、
その昔からの行為にいのちを吹き込むのが文化でありましょう。
だから
文化を守る
という言い回しは本来あり得ません。

そして
活き活きとしたいのちと世界であり続けるために耕すときには、
必ず新鮮な水や空気、栄養分が必要になるでしょう。

そして私たち信仰者は、
その常に新鮮なもろもろこそ!
は、
キリストであり、
聖霊であり、
神である!
と信じるわけです。

さて
本日も信仰と交わりを、
新鮮なキリストを頂く中で
共に耕しましょう。

それが教会学校の教育ではないでしょうか。