きぼう屋

生きているから生きている

コメディな世界の中でのユーモア

2008年04月09日 | 「生きる」こと
なんとなくおなかが重たいので
胃酸を飲もうと思って
上を向いて口をあけて
胃酸を放り込んだけど

マスクをしたままで
胃酸はマスクの上にのっかってしまったところの

大谷心基でございます

とまあ
日常生活におけるコメディは
いろいろとあるわけですが

昨日は
日常とズレたところの厳粛さが
伝統・文化・習慣という理由をともなって
ますます厳粛であろうとするとき

笑いをこらえることができなくなるほどの
かなり高度なコメディとなっている

というあたりの記事を書きました

こちらはコメディですが


本日はその逆側に

ユーモアがある!

ということを書いてみたいなあと思います

(おとといの記事では
コメディとユーモアを混同している部分もありましたが
 混同はゆるされないなあと思いました
 すみません)

つまり

生がぼくらに求めるところの生であること
世界がぼくらに求めるところの世界であること
人間がぼくらに求めるところの人間であること

(簡単に書いてしまっていますが
 良心的な思想家がどんなに文字数を使っても
 なかなか表現しきれない事柄なのですが)

とは
ときに正反対であるくらいに
ズレているところの

つまり
その時代その地域が求めるところの
ズレた

人間
世界
の只中で生きるしかない私たちが

しかし
あの優れた思想家たちが表現しきれない事柄を
皮膚と筋肉と内臓で受け止めて
それゆえに
すべての血管が喜びつつ笑うしかないという

そういうユーモアこそ

ぼくらが歩む上での
最も崇高な力であり行為であるというは
本当だと思います

ズレた世界からみたら
それこそ逆にズレている
愛と希望と平和と信仰に満ちた生と人間と世界が
身体全体に飛び込んでくるという

ユーモア



どんどん発見していくというのが

思想の役目であるし

牧師の役目だし

キリスト者の役目だし

人間の役目なんだろうと思います

というわけで

本日も一日

ユーモアいっぱいで

(ユーモアはヒューマンと同じ語源でして
 なんてことはもう書かなくてもいいか・・・)

歩んでまいりましょう


遅くなりましたが

おはようございます!!