きぼう屋

生きているから生きている

どっこいしょ

2008年04月16日 | 「生きる」こと
若菜さんのおなかは
どんどん大きくなっていきます

あるくのも
どっこいしょ
ってな感じになってきました

あと2ヶ月ほどで出てきてくれる予定です

5人目ってどんな感じなのか
ってなことを
5人の子どもを与えられている先輩たちに
いろいろ聞いてみたりしながら

子どもたちが大きくなるほどに
少年少女となったときはそりゃあ
とても大変なことになる!
ことを
今から覚悟をもって引き受ける準備をはじめているわけですが

とある先輩が
こんなことを言ってくれて
なるほど!
と思いました

「5人目は孫だね」

もはや子どもを通り越して
孫と生きている感触を受ける!
というのは
4人目とのかかわりからも
たびたび思います

昨晩
4男はおもちゃを思いっきり投げておりました
だから
注意せねばなりません

注意します

その注意にリキが入りません

長男や次男が同じことをしたとき
自然に
とてもこわい顔になって
注意を超えて
怒っていたことを思い出します

しかし
4男が同じことをしても
注意している最中に

もっとこわい顔で言わないとあかんなあ・・・
なんて考えていたりします

まあ
でも
これでいいでしょう

4男のことは
長男や次男がうまいこと注意してくれていますし・・・

だから
5番目が顔を出したときには

そりゃあ
孫になるなあ


楽しみなわけです



若菜さんは
動きはじめは

どっこいしょ

ってな具合になってきまして

「無理はあかんよ」
とつい言うものの

聞き入れてもらうことはなく

聞き入れられる状況ではなく
かかわることとやることのあふれる日常で
無理するしかないわけですが

だから
そんなん言われた若菜さんは
その言葉と日常とのギャップを味わいつつ

「うん」

と言うしかないわけでもありますが・・・

だからといって
「無理はあかんよ」
という言葉が
非現実的で無意味
ということではなくて

「無理はあかんよ」
「うん」

というコミュニケーションにおいて
互いにギャップを日々痛感しつつ

その痛感の繰り返しが
いざここ
というときに

無理を回避できるということにも
なるなあ

と思うこの頃です

でも
無理はあかんのです