きぼう屋

生きているから生きている

祈祷会

2008年04月10日 | 教会のこと
昨日の祈祷会は
赴任以来もっとも印象深いものとなりました

なんと
いつものメンバーはみんな欠席でした

葬儀
家族の入院
体調不調
孫の世話

などで来られないという連絡をいただいておりましたが
そのほかのメンバーの参加もなく
こういうのは初めてでした

しかし

半年ぶりのYさんと
Yさんの友人のSさんと
教会のプログラムは初めて参加のIさん
が来てくださり
そこで出会うことがゆるされ
じっくりと話し込むことができて
さらに
互いに祈って欲しいことを祈りあうという

まさに感動的なときとなりました

たまたま来てくださった3名がいなければ
祈祷会は妻と二人というところでしたし・・・
しかしそのたまたまで
3名も来てくれたし・・・

たとえばもし
いつものメンバーが来られていたら
これほど話し込むことは逆にできなかっただろうし・・・


きっとこれが
祈祷会の原点なんだろうなあ
というような
祈りに対する熱さがありましたし・・・

なんとも不思議に整えられまして・・・
感謝感謝です・・・

わたしが京都教会に赴任して

礼拝
祈祷会
教会学校
執事会
総務
各委員会
各会
特別プログラム



形骸化していたり
一部のがんばりでようやくつながっていたり
もはや消滅していたり・・・
でしたが


今は
だいたい整い
祈りと情熱が込められるようになってきたと思います



そうなっているからこそ逆に

水曜日の祈祷会が
教会全体の意識となっていないことが
目立ちはじめましたなあ
と思ったりします

もちろん
火曜日の昼に新たに祈祷会を設けて
それが定着し
そこに情熱が注がれているという
優れてうれしいことがあるし

わたしが礼拝などのように
祈祷会の意味やプログラムを
全面的に見直すという取り組みを提案していないこともありますが

でも
水曜日夜の祈祷会は
すごく大事なので

ここでのとりなしの祈りの共有は
キリスト者の人格形成と
その前提であり基礎であり源泉である
教会共同体形成に
きわめて有益なので

これからは
ばりばり

水曜日夜の祈祷会の再創造を
祈りつつ見つけていきたいと思いました

来年度(2009年度)の
重要課題として
10ヶ月後の総会に提出できるよう
しっかり考えたいと思います