拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

上本町→難波

2009-03-21 00:19:14 | 日記
大阪に行ってきた。最近よく行くなぁ、何故か。今回はゼミ(近世文学)の先生の案内でゼミ生達と大阪をまわる、結構真面目かつ楽しい旅。毎年春に近世文学のゆかりの地などをまわる旅が催されていて、去年は京都に行って『雨月物語』の上田秋成の墓とか島原の遊郭があった所、一昨年は井原西鶴の『武家義理物語』に出てくる詩仙堂(これも京都)や学校博物館などに行ったんだけど、今ブログ見たらその時の事は日記に書いてなかった。楽しかったっすよ。普段京都に遊びに行ってもまず足を運ばないであろう、ちょっと地味で静かな雰囲気の所だったしね。でも今回の大阪の旅は、人がごった返す街をグルグルと歩き回る旅。「え、適塾ってこんな都会のど真ん中にあったんすか!?」と衝撃を受けました。近松や西鶴の墓も、普通のビル街にひっそり佇んでる感じだしね。こりゃ案内して貰わないと辿り着けんわ、方向オンチの私じゃ…。
大阪に着いてまず行ったのは、梅田の近くにあるお初天神。近松門左衛門の『曽根崎心中』に出てくる場所。主人公の男女が愛を貫くために逃げて来た、切なく悲しい場所は、今は物凄く賑やかな街の中にひっそり存在している。パチンコ屋とかいっぱいあったな、周りに。超絶に賑やかなパチンコ屋の目の前に公立小学校があったりもしたな。あの小学校に通うってどんな気分なんだろう。ファンキーな心が育ちそうだな。そこから地下鉄御堂筋線に沿ってテクテク歩き、ビジネス街やスナック街(夜になると街並みは激変すんだろうなぁ)、カッコいい大阪市役所を通り抜け、江戸時代の町屋の姿を留めている、幕末に福沢諭吉らが学んだ蘭学塾「適塾」へ。都会のど真ん中とは思えない程落ち着いた風情ある雰囲気でかなり不思議な気持ちになった。塾生達は皆、難解なオランダ語の医学書や蘭和辞書を片手に猛烈に激烈に勉学に励みまくってたらしいっすよ…。
さらに市内を南下し、松尾芭蕉の終焉の地、本町へ。交通量の多い道路の真ん中付近の植え込みの部分という「な、なんでそこ!??」という場所に、ひっそりと碑が立ってました。その後やっと地下鉄に乗り難波まで行き、道頓堀川沿いを歩く。テレビでよく観る風景だ。阪神ファンが飛び込む所だ。真田広之の映画『道頓堀川』の舞台だ。『道頓堀川』、若き日の真田さんの不自然な関西弁がキュートなんだよ(故にネイティブ関西人にとってはイライラする喋り方であることでしょう…)。そいえばあの映画に出てくる大阪の街、多分全部行ったな、今日。淀屋橋とかも。で、緩やかな坂をのぼりつつ大阪をまたまた南下し、近松門左衛門の墓へ。ビルとガソリンスタンドの間の隙間にあるんですよ、彼の墓。地味過ぎる。でも、上田秋成の時も思ったけど、やっぱ墓に来ると「あぁ、この人は実在してたんだなぁ…」という実感が湧いて来て心が震えるね。近世の作家って写真が無いし、本名も謎の場合があるから架空の人にも思えてしまうんだよね。近松の墓の近くの寺に井原西鶴の墓もある。一般の人の墓石に混じって西鶴の墓があって驚きました。
最後は上本町の方までまたテクテク歩き、西鶴ゆかりの地である生玉神社へ。パンフによれば「西鶴は、当社の境内で一昼夜をかけて矢数俳諧を行い、一人で四千句を詠み上げた」とのこと。一句作るのに与えられた時間は10秒程だったらしい。なんだろ、エンドレスで大喜利の答えを発表し続けるみたいな感じかな、今で言えば。無限ダイナマイト関西みたいな?そして歩いてまた難波に戻る。この時、ブラックマヨネーズが2005年のM1グランプリでやってたボウリングの漫才での「俺の家、上本町っていう大阪の坂の上やぞ、あんな所で袋破れたら難波まで転がって行くやんか!」が実感出来た気がしたなー、今更(笑)。ず~っと緩やかな下り坂だもんね、難波まで。坂をゴロゴロ転がり続け、難波の地下街への入口付近でピタっと止まるボウリングの玉…。こんなこと知らなくても超笑えたんだけど、知るとさらにおかしいねー。
という感じの大阪ぶらり旅。次に大阪に行けるのはいつかな?



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