今日は所属する研究室の先生と研究室の皆様とで、「名古屋市町並み保存地区」にも指定された旧東海道の町並みが残る名古屋市緑区の有松におでかけした。その様子を淡々と記述していく。
さて、有松といえば、江戸時代から伝わる伝統工芸「有松絞り」で有名な町。というわけで、まず初めに有松絞りの全てがわかる「有松・鳴海絞会館」へ行く。名鉄名古屋本線有松駅から徒歩5分ほどでたどり着けるこの施設。この施設まで行く途中にある東海道沿いの様々なお店に有松絞りでつくられたのれんが吊ってあり、有松にやってきたことを実感させられる。この有松は東海道の正式な宿場では無かったのだが、有松絞りが東海道を旅する人々の間で大評判となり、すぐそばにある宿場・鳴海よりも栄えた町となったらしい。
「絞会館」、一階は有松絞りで作られた数々の小物や衣服が売られる売店となっている。きんちゃく、ハンカチ、ポーチ、浴衣など、有松絞りならではの華やかな色合いと、布を「絞り加工」することによってできた独特の手触りを誇る素敵な商品が所狭しと並んでいて見ているだけで飽きない。二階は展示室と「絞り加工」の実演が見れるスペースがある。入場料を払って二階へ上がると、まずは有松絞りの歴史と、作られる工程を説明するビデオを見せられる。ビデオは英語の字幕付き。海外からの見学者もとても多いそうだ。次に実演を見る。実演スペースで器用に素早く糸を操り布に絞り加工を施す神業を披露するのは70歳代の女性の方々。かなり間近で伝統技法を見せていただけた。ご高齢なのにその手先の器用さはなんなんだ!と衝撃をうけつつ展示室へ行き、絞り加工を施した布を染め上げるための釜や、綺麗な藍色の有松絞りなどを見学。
次に、秋の「有松祭り」で披露される山車を見学できる「有松山車会館」へ行く。有松祭りで披露される山車は三体。うち二体は祭りの期間だけしかお目にかかれないが、一体はこの会館で年中見学することができる。山車を見た後、有松祭りのビデオを見る。ビデオによると、祭りで着るハッピはもちろん有松絞り製のものらしい。
その次は、織田信長が今川義元を奇襲した地、桶狭間の古戦場跡が近くにあるということで、歩いて「古戦場公園」へ向かう。20分ほど歩いて着いたのは住宅街の中にあるごくごく普通ののどかな公園。一応記念碑が立っているが、戦場の面影は見当たらない。まぁ当たり前か…。でももうちょっと歴史の重みのある作りの場所かと思ってた(失礼?)。ただ、「今川義元の生首を洗ったとされる水場の跡」などは結構ゾっとした。
桶狭間からまた歩いて旧東海道に戻り、通り沿いにあるお店に寄って抹茶などを飲む。昭和初期に造られた家屋の中にあるこのお店。なかなかレトロで落ち着く雰囲気。コーヒーを頼んでもカップではなく抹茶を入れるような器に注がれて出てきてちょっと盛り上がる。一休みした後、学問の神を祭る神社天満宮を参拝。森の中の長めの石段を昇っただけで疲れるみなさん。もちろん私もクタクタに。平日だからかとにかくひと気が無く、ちょっと怖かった。肝試しスポットになってるんだろうなぁ。参拝後また東海道に戻ると、有松絞り製品を売るお店から外国人のご一行が出てくる様を目撃。手にはお土産袋がぶら下がっていた。何買ったんでしょ。
一通り有松を散策したのち、駅前にある焼き鳥屋で一時間半ほどお酒飲みつつまったり過ごす(先生の真の目的はこれだったのかも?)。「次は豊橋方面の旧東海道に行くのもいいねぇ」という話になりわくわく。その後解散。楽しい一日だった。名古屋市にもこんなに風情のある町並みがあるのだなぁと感心した。有松絞りの事は名前ぐらいしか知らなかったが、今日実際製作工程を見て感動した。一つ一つ手作業で作ってるんだもんなぁ…。繊細な模様を表現する絞り製品たちを見ているだけでなんだかドキドキしてきてしまうよ。そりゃあ旅人たちも買いまくるよ。記事のタイトルは、江戸っ子が東海道を行き伊勢を目指す珍道中を描いた「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次さんが有松で詠んだ歌である。弥次さんは有松絞りの手ぬぐいを買ってたよ。
さて、有松といえば、江戸時代から伝わる伝統工芸「有松絞り」で有名な町。というわけで、まず初めに有松絞りの全てがわかる「有松・鳴海絞会館」へ行く。名鉄名古屋本線有松駅から徒歩5分ほどでたどり着けるこの施設。この施設まで行く途中にある東海道沿いの様々なお店に有松絞りでつくられたのれんが吊ってあり、有松にやってきたことを実感させられる。この有松は東海道の正式な宿場では無かったのだが、有松絞りが東海道を旅する人々の間で大評判となり、すぐそばにある宿場・鳴海よりも栄えた町となったらしい。
「絞会館」、一階は有松絞りで作られた数々の小物や衣服が売られる売店となっている。きんちゃく、ハンカチ、ポーチ、浴衣など、有松絞りならではの華やかな色合いと、布を「絞り加工」することによってできた独特の手触りを誇る素敵な商品が所狭しと並んでいて見ているだけで飽きない。二階は展示室と「絞り加工」の実演が見れるスペースがある。入場料を払って二階へ上がると、まずは有松絞りの歴史と、作られる工程を説明するビデオを見せられる。ビデオは英語の字幕付き。海外からの見学者もとても多いそうだ。次に実演を見る。実演スペースで器用に素早く糸を操り布に絞り加工を施す神業を披露するのは70歳代の女性の方々。かなり間近で伝統技法を見せていただけた。ご高齢なのにその手先の器用さはなんなんだ!と衝撃をうけつつ展示室へ行き、絞り加工を施した布を染め上げるための釜や、綺麗な藍色の有松絞りなどを見学。
次に、秋の「有松祭り」で披露される山車を見学できる「有松山車会館」へ行く。有松祭りで披露される山車は三体。うち二体は祭りの期間だけしかお目にかかれないが、一体はこの会館で年中見学することができる。山車を見た後、有松祭りのビデオを見る。ビデオによると、祭りで着るハッピはもちろん有松絞り製のものらしい。
その次は、織田信長が今川義元を奇襲した地、桶狭間の古戦場跡が近くにあるということで、歩いて「古戦場公園」へ向かう。20分ほど歩いて着いたのは住宅街の中にあるごくごく普通ののどかな公園。一応記念碑が立っているが、戦場の面影は見当たらない。まぁ当たり前か…。でももうちょっと歴史の重みのある作りの場所かと思ってた(失礼?)。ただ、「今川義元の生首を洗ったとされる水場の跡」などは結構ゾっとした。
桶狭間からまた歩いて旧東海道に戻り、通り沿いにあるお店に寄って抹茶などを飲む。昭和初期に造られた家屋の中にあるこのお店。なかなかレトロで落ち着く雰囲気。コーヒーを頼んでもカップではなく抹茶を入れるような器に注がれて出てきてちょっと盛り上がる。一休みした後、学問の神を祭る神社天満宮を参拝。森の中の長めの石段を昇っただけで疲れるみなさん。もちろん私もクタクタに。平日だからかとにかくひと気が無く、ちょっと怖かった。肝試しスポットになってるんだろうなぁ。参拝後また東海道に戻ると、有松絞り製品を売るお店から外国人のご一行が出てくる様を目撃。手にはお土産袋がぶら下がっていた。何買ったんでしょ。
一通り有松を散策したのち、駅前にある焼き鳥屋で一時間半ほどお酒飲みつつまったり過ごす(先生の真の目的はこれだったのかも?)。「次は豊橋方面の旧東海道に行くのもいいねぇ」という話になりわくわく。その後解散。楽しい一日だった。名古屋市にもこんなに風情のある町並みがあるのだなぁと感心した。有松絞りの事は名前ぐらいしか知らなかったが、今日実際製作工程を見て感動した。一つ一つ手作業で作ってるんだもんなぁ…。繊細な模様を表現する絞り製品たちを見ているだけでなんだかドキドキしてきてしまうよ。そりゃあ旅人たちも買いまくるよ。記事のタイトルは、江戸っ子が東海道を行き伊勢を目指す珍道中を描いた「東海道中膝栗毛」の主人公、弥次さんが有松で詠んだ歌である。弥次さんは有松絞りの手ぬぐいを買ってたよ。
和小物好きの私にはきっと有松はたまらないわ。