相模太夫の旅録=Tabi Log

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近代教育発祥の地で国史蹟の「湯島聖堂」

2023-04-04 07:29:58 | 墓所・廟所
文京区湯島に近代教育発祥地で国史蹟の「湯島聖堂」はある。徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった「廟殿」「林家の家塾」を移築が興りである。もとは上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた「孔子廟」を「大成殿」と改称し「官学の府」とした。この時より「大成殿」と「附属の建造物」を総称して「聖堂」とした。凡そ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校「昌平坂学問所」(昌平校)を開設した。明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管となり、当初学問所は大学校・大学と改称されながら存置されたが、明治4年(1871)これを廃して文部省が置かれることとなる。林羅山以来240年、学問所として75年の儒学の講筵はその歴史を閉じた。この年我が国最初の博物館、翌5年(1872)には東京師範学校や書籍館が置かれ、同7年(1874)には「東京女子師範学校」が設置、高等師範学校に昇格後、現在の「筑波大学」、「お茶の水女子大学」となる。湯島聖堂は維新の一大変革にも学問所としての伝統を受け継ぎ、近代教育発祥の地としての栄誉を担ってきた。翌12年(1923)関東大震災で入徳門と水屋以外は全焼失した。昭和10年(1935)寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで再建された。「築地塀」で囲われた堂域には入母屋造りの「大成殿」(孔子廟の正殿の名称)の内には中央の神龕(厨子)に孔子像、左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀る。切妻造り「仰高門」、入母屋造り「杏壇門」、「入徳門」(もとの孔子廟)、朱舜水亡命時に携えて来た「孔子像」が祀られている。傍には「楷樹の木」が聳えている。孔子を祀る祭典である「釈奠」は毎年4月の第4日曜日に「神田神社神官」が執り行っている。(2303)
 
 
 
 
 

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