さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

幼かった日の思い蘇らせて歩む遠い道

2019-02-16 | 日記


80数年昔のことですけども、私は小学校1年から5年までの幼い日を福島県側からの尾瀬沼登山口の檜枝岐村の隣の集落小立岩という山あいの小さな集落で暮らしていました。

通っている小学校は小さな教室が二つに茅葺き屋根の民家のような小さな学校でした。小学校の前には小さな水田があってその先に標高1000mほどの険しい雪崩跡のある山ガ迫っていました。



小学校や寺などのある集落は北側の愛宕山と南側のこの険しい山に夾まれた幅150mほどの狭い平地にありました。居平と呼んでいるんです。子供の私にとってはその狭い平地にある集落が私の全世界でした。その狭い山にはさまれた平地の集落が私の懐かしい古里です。ですから車のあった頃の私は数年に一度は必ず訪問して集落の鎮守の神社にお参りし、「さんたろう只今帰りました」と心静かにお祈りしていました。




机を並べている私の小学校の同級生は女の子が3人と、男の子が私を含めて3人合わせて6人でした。先生はといえば小学校の高等科を優秀な成績で卒業したばかりの男の代用教員の先生でした。当時の小学校高等科は2年ですから今の中学3年の年頃の若くて明るい先生でした。私たちは兄のように慕い先生は私たちを弟や妹のように可愛がりとても楽しい学級でした。その時の小学校の先生は正規の先生一人とこの若い代用教員の二人の先生しかいなかったんです。児童数が少なかったせいもあるんでしょうけど、当時は小学校の先生の給料は村で支払っていたと聞いていますから当時の小さな村ではそれがやっとだったんだと今は思います。

6人の同級姓みんなそれぞれの個性があって明るく楽しい仲間でした。その同級正の中で一番勉強のできる子はとみこさんという賢こそうな可愛い女の子で、私はひそかに心惹かれていたんですけどそのことを知られるのがいやでわざと無関心を装っていました。

とみこさんのおうちは小学校のある小立岩から1.5kmほど離れた大桃という集落にありました。いまでこそそこへの道は尾瀬沼への舗装された立派な国道になっていますけど、当時は馬車一台がやっと通れる砂利道でした。檜枝岐側の激しい流れの見える山の崖に作られた「へつり」という怖い場所の道もありましたし、ブナやクヌギの森の中の長い道も、檜枝岐川を渡る細い板橋もありました。冬季は積雪で子供は通えず大桃に分教場が開設されました。

小学校5年の初夏のことでした。なにかの事情があってとみこさんはその道を一人で帰らなければならなくなりました。そして私にいうのです。
「おれ、ひとりで帰るのおっかねがら、さんたろういっしょしてけねがや、」
「私一人で帰るの怖いから一緒してくれない」

私は胸がとどろくほどうれしかったんですけど、無愛想に「うん」とうなずきました。帰り道
の二人は道の両はしに分かれて黙って歩みました。今まで気づかなかった険しいへつり道の下をながれる檜枝岐川の流れの音が聞こえました。ぶなの林の中の道はえぞ春蝉のにぎやかな「みよぎーんみよぎーん、ぎんぎん」という声で賑やかでした。深い山の谷の上の空を二羽のハヤブサがかろやかに輪を描いていました。それでも二人は一言も話しませんでした。

とみこさんの家は留守でした。とみこさんは私の目をみて
「ちょっこらまってでてけろやな」
「ちょっと待っててね」
といって家の裏にいって2本のキュウリと塩の包みをもって来てだまって差し出しました。私もだまって受け取りました。

たったそれだけのことです。それからの二人のあいだには変わったことはなんにもありません。いままで通りでした。私は六年生になるとき父の仕事で大きな学校に転校しました。それから80数年92歳になった爺いが懐かしい思い出を鮮やかに思いだしながらの遠い道の散歩でした。私は「92歳」ですからとみこさんも92歳、時には「あのとき」の二人のことを思い出すこともあるんかな?・・あるはずがありませんよね!

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8 コメント

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有るのでは (基左衛門)
2019-02-16 17:45:09
 男だからと言うのでなく女の人でも同じでは、幼い頃の思い出はみんなありますよ、女の子と一二年生頃道草を食い食い下校したこととか、高校ではバスケの練習にマンツウマンの時女性の体に触れてしまったとか、色々ですが。
                     上州の八十爺
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基左衛門さん (さんたろう)
2019-02-16 17:57:56
早速のコメントありがとうございます。

いやー、ほんとですよね、大人になるまでにはいろんなことが...

基左衛門さにいわれていろんな思い出が浮かびました。

92歳にもなるともう思い出を懐しむばかりですけども・・・に
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小立岩の思い出 (M.H)
2019-02-16 19:37:55
さんたろうさん、ご無沙汰をしております。ブログをお読みの皆さまに一言自己紹介をさせていただきます。私は、さんたろうさんが幼少時を過ごされた小立岩という小さな集落で生まれました。偶然にも道路改修の関係でさんたろうさんが居住されました教員住宅の跡地に我が家は移住しました。その私の高校時代の漢文の恩師がさんたろうさんの弟さんでありました。何年か前にブログをサーフィンしていましてさんたろうさんに出会いその奇遇に驚きました。恩師は小説をお書きになっていました。今、私は73歳になりました。さんたろうさんの子どもみたいなものです。その私は、さんたろうさんが度々故郷のようにお話しされている思い出ようなお話と似た体験を当然同じ場所でしております。その体験を元に私も小説のようなものを書いております。その小説がこの度第62回農民文学賞最終候補作品に選ばれました。(HP農民文学参照)さんたろうさんのブログをいろいろ参考にさせていただきました。
 さんたろうさんとの出会いが私を導いて頂いているようににさえ感じます。
 不思議な出会いに感謝申し上げます。万が一受賞できるようなことがありましたら、弟さんの先生の墓前にお礼を申し上げたいと思います。
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こんばんは (チエちゃん)
2019-02-16 19:55:38
すてきな思い出ですね。
とみこさんも、きっと覚えていらっしゃいますよ。
また、寄らせていただきます。
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M.Hさん (さんたろう)
2019-02-17 16:08:04
山間いの小さな集落小立岩を私と同じように古里にしていらしゃるM.Hさんのコメントは心にしみます。懐かしくうれしく読ませていただきました。

おめでとうございます。M.Hさんの小説「なだの海の向こうに」が第62回農民文学賞の最終候補作品に選ばれたんですね.。すばらしいです。必ず正賞になると信じています。
弟忠とともに心からお祝いもうしあげます。
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チエちゃんさん (さんたろう)
2019-02-21 15:25:18
ちょっとばかりお恥ずかしい子供の話に目を止めて読んでいただけてとてもうれしいです。有り難うございました。
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Unknown (七器)
2019-04-07 09:45:22
お久しぶりです
まとめてブログを拝見しております
知っている名前に留まり
じっくりと呼んでます
お父さんは教員だったんですか
大桃の舞台では
夏に歌舞伎も上演されてますよ
どうぞ季節の良い時期に
お出でにならて下さい
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七器さん (さんたろう)
2019-04-07 13:29:07
私近頃ブログに思うような投稿ができず少々落ち込んでいたんですよ。そこの七器さんからのコメントをいただいてなんか生き返ったような気持ちになりました。ありがとうございます。

とみこ(ほんとはトミエさん)の居る大桃は当時は大川村大桃でした。南会津郡の郡役所のある田島に出るには大変でした。峻険な駒止峠を越えての一日かかりの遠い道のりでした。

でも今は南会津町大桃、駒止峠はトンネルが開通しての立派な国道になって車でゆけばすぐにいけるようになりました。車のあった若い頃は何度か古里小立岩に訪れております。

大桃の舞台ではいろんな催しがあることは聞いていました。今も続いているんですね。残念なことに訪れないでしまいました。運転免許証を返納して3年めもぅ伺うことは難しくなりました。田島町の子供歌舞伎なども上演されるだろうし、それに92歳になったトミエさんにも会えたかも知れないのに残念です。
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