さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

臨終のベットで演説した男

2014-12-06 | 日記
 私の弟の家は車で2時間あまりの奥会津にあります。

 弟は3年ほど前前立腺癌を発症し2年ほど過ぎて癌は膵臓に転移し手術を受けたのですがやがて全身に癌は転移して長い闘病の末に本年11月28日に亡くなりました。
 
 癌が全身に転移しもう手術も出来ないと告げられ町の診療所に入院していました。2度ほど見舞っていましたが遠隔地でもあり度々見舞うことも出来ず毎朝弟の家内に電話で容体を聞いていました。弟の家内からもう食事もとれなくなったと涙声で告げられ、老体で遠隔地への運転を家族に禁止されてる私はタクシーを頼んで家内と二人で弟を見舞いました。

 意識はまだありましたけど弱々しく目もしっかりとは開けられませんでした。
「痛むのか・・」という私に「少し・・」と答え、「早く良くなってまたいろんなこと話そう・・」というと顔をくしゃくしゃにして深くうなずいていました。泣いていたんだと思います。

 私の家内は弟と小学校の同級生です。「米寿の祝いの同級会の幹事はあなたが当番でしょうに早く元気になって・・」と私の家内がいうとかすかに目をあいて「○○○か?」と懐かしそうに私の家内の名前を呼びました。そして静かに眠りにつきました。

 まだ数週間は大丈夫かなと思って帰宅した次の日の朝、弟の家内から「朝の三時頃から急に容態が悪化して亡くなった」と知らせがありました。絶句して涙が溢れました。
 二~三日分の着替えと喪服を持ってタクシーで弟の家に急ぎました。

 家に帰っていた弟は私の話しかけに応えるように穏やかな顔をして永眠していました。弟の家内が「臨終間近い病院のベットで家の人は長い演説をしていたんですよ・・」と私に告げました。

 自分の弟ですけど、弟は町の民生委員として長い間働いていて、何年か前には叙勲の栄も受けてもいました。

 私が弟の枕辺でたくさんの方の顔見舞いをお受けしているとき、「私が困っているときに暖かい心で助けて頂いたんですよ」と言ってくださる方が何人もいらっしゃいましたし、また涙を流して合掌して下さる方もたくさんいらっしゃいました。

 私は弟は臨終の眠りの夢の中で弱い立場で苦しんでいる人たちの幸せのためにみんなで援助しましょうと演説していたんだと思います。

 葬儀は田舎の町でもありましたので自宅でおこなわれました。200人前後の会葬して下さった方々が家の庭から道路まで溢れました。ありがたいことでした。

 わが弟ながら、私などよりずっとずっと世のため人のために尽くした弟だったと思います。85歳の生涯でした。こんなにたくさんの人たちに送られて旅だった弟は幸せだったと思います。暖かい皆様への感謝の心でいっぱいです。

 私はいましみじみとあの弟に負けたなと嬉しい心で思っています。立派な生涯の弟でした。合掌