のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

原発で働くということ。

2011-03-29 21:16:39 | 母の作戦、考え
昔読んだ、原発をつくっていた方のホームページが、期限切れか何かで
もう読めなくなってしまいました。

うろ覚えの記憶で書いてはいけないかと思いましたが、
原発で働く方の難しさについて、書いておきたくなりました。
うろ覚えですが、趣旨はあっていると思います。

原発で働く方は、「線量管理」というのを徹底しているそうです。
最近、にわかに耳にするようになった「シーベルト」だとか「ベクトル」だとか・・。
1年間に浴びてもいい放射線の量というのが決まっていて、
それを超えてしまったら、原発でのお仕事ができなくなるそうです。

だから、普段は「健康管理」という面ももちろんですけど、
「継続して安定した収入を得るため」にも、
細かく管理された放射線量をしっかり守って作業をされているそうです。

今回の原発事故で、作業中被曝して病院に運ばれた作業員の方がいらっしゃいました。
幸いすぐに退院され、
お医者様会見で、
「治療の必要もない位、少し赤くなる程度の火傷がでるかもしれない・・
という位にしかならないだろう」
と、仰っていました。

何よりです。

でも、この方々は、きっともう1年分の許容量を超えてしまったでしょう。
(これ、確認してないですけど、確か年間50ミリシーベルと書いてあったように記憶してます。
今回のような非常事態ではあげられたようですが・・・)
1年は始まったばかりですけど、この後お仕事はどうされるのでしょうか。
専門知識をもち、慣れ親しんだお仕事を離れなければならないのでしょうか。
その生活費はどうなるのでしょうか。

この方々だけではありません。
被災後、何とか原発を止めようと、現地で踏ん張ってくださっている方々は
みなさん、普通よりかなり多めの線量を浴びているでしょう。
年間の許容量を超えたら、その人はもうそこでお仕事はできなくなります。
その方々の生活をどう支えていくのかも今後の課題になります。

そしてその前に、
人材をそうして使いきってしまったら、誰がいったいあそこで作業をするのか。
これも大きな問題です。

1号機から3号機までの冷却が、電源を使ったポンプに、今日切り替わったそうです。
事態収束に向けて大きな一歩だと思います。

どうか、このままもう、不測の事態が起きることがありませんように。
ただただ、祈るばかりです。




見る人、読む人

2011-03-29 19:18:11 | 1年算数
珍しく、妹ちゃんが、日中に宿題を終えてくれたので、車で近くのショッピングセンターに来ています。

節電のため暗くはなっていますが、全店営業中。

ナルニア物語を見たいというのんびり娘をシネコンに送りこんで、私と妹ちゃんは本屋さんへ。

二人で同じシリーズものを手にとると、一気に読んでしまいます(本屋さんごめんなさい)。

のんびり娘は、
「なんで映画みないの?」
って聞くし、
妹ちゃんは、
「なんで本を読まないんだろうね?」
って聞く。

見る系人間と読む系人間。
はっきり分かれていて面白いね。

マニュアル先生2

2011-03-29 00:00:57 | 先生方に②参考になれば
この先生の指導の、ちょっと困った方向性を示すのに良い逸話があります。

給食の片づけの時のルールです。

食べ終わった食器を乗せたカートを、給食当番さん達が
給食室に運んでいきます。

給食室まで運び終えたら、給食係さんがこう号令をかけます。
「かべに寄りかからないで下さい。」
これで、全員が給食室のドアを向きます。
そして、
「1年●組です。ごちそうさまでした!」
と、声をそろえていうのです。

良いことでしょ。
ただね、この子たち、いつも決まったドアに向かっていうのです。
給食室にはもう一つドアがあり、そちらの方で給食のスタッフさんが
何やらお仕事をしているのが見えても、
誰もいない、決まったドアに向かって、
「ごちそうさまでした!」
を言うのです。
私が近くにいる時にはもちろん、
「誰に言うのかな?」
って声をかけてやり直させますけど、
こういう姿を見てしまうと、
「形」に拘って、「心」がないがしろになってしまっていないかと気になるのです。


算数も同じだったように思います。
いろんな工夫はされました。
おそらく、この先生が「一番良い」と確信を持たれたことを
実践されたのだと思います。
でも、そこに子供の実態を見ていたか。

全員が同じ形になるノートでは、子ども一人ひとりの躓きは見えません。
ドリルも、最初から「自分で答え合わせ」するようにしつけていましたし、
プリント類はされませんでした。

教科書の問題は、電子黒板を使って、一つずつ丁寧に取り組み、
速くできる子が黒板に書いた答えをすぐに写してしまいます。
テストは、」準備用の小テストをじっくりやり、
大テストでの躓きを最小限にしています。

一見、とても丁寧な進行に見えます。

でも、子供が一人でじっくり問題と向き合う時間は
決して充分ではなかった。


クラスの全員が、先生の教えた通りにちゃんとノートをとり、
クラスの全員が、発表者の方にきちんと体を向けて話しを聞き、
クラスの全員が、「わかった人?」という問いかけにすぐ手をあげる。
もしも、手をあげない人がいたら、隣の人がすぐに教えて手をあげさせる。

どれも、悪いことではないと思います。
指示の聞き洩らしなどは、こうした習慣でかなり防げたのだとも思います。

ですけど、
「仏作って、魂入れず」というか、
芯になる部分が、どこかずれているように感じたのでした。