のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

亡くなった日のこと。

2009-10-11 00:28:52 | 母の作戦、考え
悠々さんお久しぶりです。
私自身は、すでに重い気持を抜けてしまっているのですが、読んでくださっている皆さんに暗い空気を届けてしまって済みません。なるべく早く今に至るよう、頑張って書きますね。

義弟が亡くなった日は金曜の夜でした。その日も、奥さんは母親に連れられて午後に少し顔を出し、
「アパートの片付けがありますから・・」
と話す母親に連れられて、間もなく帰って行きました。
「いるのが当然なのだから、あなたが奥さんなのだから。一緒にいられる時間はもうあと少ししかないのだから。」
そう教えてあげたいと思う気持ちと、
一緒にいたくはないだろうと思う義母への気持ちとの間で、私の気持ちも揺れました。

結局私は、義弟を失うことを心から悼んでいる義母や義父、パパや義妹の気持ちをとりました。
奥さんを引きとめること、いさめることはしなかったんです。
悪気はないのだろうけど、配慮のない物言いでその場の空気を乱す彼女のご両親にもいて欲しくなかった。だから帰ってくれるとホッとしました。
と同時に、義弟自身はどうなんだろうと、奥さんにいてもらいたかったのではないか、
いてもらえるように働きかけなかったことは義弟に対して冷たい仕打ちだったのではないかと思ったりもしました。奥さんに対する義弟の気持ちだけは今もよくわかりません。

夕方4時ごろ、お医者さんが計器のデータをみて、
「心臓が少しずつ弱ってきています。もしかすると今夜が・・」
とお話していかれました。
夜に備えていったん家に戻っていた義母をメールで呼び戻し、数値に変化がないことを確認してから、子供たちと一緒に軽い夕食をとってもらっているその時間に、病室に残ってくれた義父から慌てた声で電話がありました。
義母と急いで駆け付けると眠っていたようだった義弟の血の気が、まだらにひいてゆくところでした。
4日間、脳の指示がないまま動き続け、私たち家族に気持ちを落ち着かせる時間を与え、たくさんの友人たちにお別れをする時間を与えてくれた義弟の心臓が力尽きた瞬間でした。

夜遅くに亡くなりましたので、そのあと義弟をどこに安置するかが問題となりました。
義弟のアパートでは管理人さんの許可が下りない(深夜なので連絡がつかない)し、奥さんと息子は実家に身を寄せている状態です。葬儀社が安置してくれるという場所は遠く、家族としてはやはり義弟を一人きりでそんな見知らぬところに安置する気にはなれず、
義弟実家に祭壇を作って仮通夜をすることになりました。

義母、義父、私たち一家(金曜でしたので、実家に泊まることも考えに入れて子供たち二人も病院に連れてきていましたし、パパも赴任先での仕事を終えて特急で病院に来ていました)、急変の知らせを受けて駆けつけた義妹一家(お別れだからと、五歳の息子も連れてきました)、それからやはり義弟の心臓が止まった知らせを受けてからやってきた奥さんとその両親、そして義弟の息子(五歳)。

病院の地下にある安置所でお線香を手向け、隣の部屋でみんなが今後のことを相談している間、私と長女と奥さんと息子は安置室で義弟のそばで過ごしました。
そこで初めて、私は奥さんに、
「お葬式って初めてでしょ。あのね、○ちゃんね(家族はみんな義弟のことをそう呼んでいました)、お葬式の日にはもう焼かれて骨だけになっちゃうんだよ。この姿で会えるのはあと少しなの。お顔を見たり、手を握ったりさすったりできるのもあと少しなのよね。あなたは奥さんなんだから、あとで後悔しないように一緒にいたいなら周りに遠慮しないで一緒にいたらいいんだよ。」
と言いました。
「はい。」
と、小さい声で答えた奥さん。

もう動かない、もう何もしてくれない夫に、彼女は何を思っていたのか。どう感じていたのか。彼女の涙が、義弟の苦しさや無念を思ってのものだったのか、それとも自分に対する憐れみだったのか、それは私にはよくわかりません。
でも、結局彼女は自分から「こうしたい」と言い出すことはなかった。

二日間義弟は自分の生まれ育った家で休み、それからお通夜のために会館に移されました。
義弟が実家に泊まった2晩は、私たち一家も泊まりこみ、私と義母は夜になると、義弟の脇でお喋りしていました。
会館でのお通夜の時は、義父母、パパ、義妹の4人が、そこに泊まって過ごしました。私と子どもたちは実家でお留守番。

義弟は倒れた日から1度も一人きりになることはなかったです。
(今もお骨になって実家にいますが、義父母は出かける時間をずらして、義弟が一人になる時間を極力作らないようにしています。
それがわかっているから、私たちも義妹夫婦もちょくちょく実家に顔を出しています。)

でも奥さんは病院でも、仮通夜も本通夜も、一度も一晩通してそばにいることはなかったの。
義弟の実家に来る時も、彼女のお父さんかお母さんが連絡してきて、連れてくる。そしてほどなく連れて帰られる。

葬儀のことも、アパートのことも、彼女の頭ごなしで義父と彼女の父親が話している。
義弟のために遠くから新幹線で駆け付けてくれた古い友人たちの相手は義母がしている。
彼女はと言えば、何となく手持ち無沙汰な様子でウロウロし、そうして親に連れられて帰っていく。

彼女はそれでいいんだろうか。何もかもが自分の上を通り過ぎていくような人生で幸せなんだろうかとふと思ったりするのは、やはりのんびり娘の将来と重ねてみてしまったからでしょう。



重い気持ちとため息の日々。

2009-10-10 21:49:29 | 母の作戦、考え
しずくさんコメントありがとうございます。
なるべく早く今の状況にたどりつくために、本文優先で書かせていただいています。
お返事、遅くなりますけど、すみません。

義弟の病院は、私の家から車で1時間半ほどのところにありました。義弟を一人にはしたくないのと、病院に詰めている義母を少しでも休ませたいのとで、私も子供たちを家に置いて毎日通いました。
我が家よりも病院に近いパパの実家に子供たちをおいて、夜遅くまで病院で過ごすこともありました。

夏休みの最終週です。宿題の仕上げと、期末テストの準備と、大事な時期だと思っていました。でも、人の命の方がずっとずっと大事ですから、
子供たち二人には、
「ママはしばらく何もできないよ。自分で考えて、できることをやっていかないと間に合わないから、よく考えて頑張るんだよ。」
と話しました。

でもね、全然駄目だったの。
鬼母のいないのをよいことに、普段見られない時間帯のテレビをつけては魂を吸い取られ(我が家の娘たちはこういう状態になります)、やるべきことはちっともやっていない。
普段なら、
「ばかもの!!!」で済む、こんなことがひどく堪えました。

私の心の中には、
のんびり娘にしろ、やんちゃな妹ちゃんにしろ、
家族のピンチ、母のピンチともなれば、精一杯何かしようとしてくれるだろう・・
という、親ならではの甘い期待があったのですね。
私自身が子供のころしてきたように、私の姉や兄がしてきたように、
親が大変な時には留守の間に家事を片づけておくような、そんな気配りをどこかで期待していたんだと思います。
それがまぁ、見事に裏切られたことの悲しさ。
そしてまた、
仕事などでの「普通の不在」ではなく、彼女たちにとっても優しい叔父さんの命にかかわることなのに、いつもと同じようにしか過ごせないことへの情けなさ。
そこには想像力のかけらもないと、
いったい私は、この十数年どんな子育てをしてきてしまったのかと、
体中から力が抜けていく思いでした。

あぁ、因みに彼女たちがテレビや漫画(パパの自宅には、義弟が中心となって集めた見事な漫画のコレクションがあります)に夢中になって、宿題も支度も手伝いも何もしなかったのは1日だけではありません。初日、理を分けて話をし、2日目雷を落とし、それでも目先の刺激に誘惑される子供たちに、最後にはため息しか出なくなっていったのです。

義弟の奥さんのことを、

のんびり色があったのに、気付かれずに放っておかれてしまったため、人に何かをしてもらうのが当たり前になってしまったんじゃぁないのかな。
そのために、自分がしなきゃという気持ちが持てないし、やってもらえることが当たり前だから感謝の気持ちも浮かばないんだろう。

と思っていた私は、ここのブログでもおわかりの通り、のんびり娘には決して甘くはありません。時間のこと、勉強の仕方のこと、片付けのこと、激しいバトルは毎日のように繰り広げられています。
「優しい、お友達のようなお母さん。」
なんてやろうとも思ったことはありません。
私が望んできたのは、「自分で生き抜く力」を持つこと。
そしてとっとと、この家から出て行ってくれること。

の、つもりだったのですが・・・

結局、義弟の奥さんと同じじゃないか。
家族のピンチに、「自分は何が出来るか?」を考えようともしないなんて、
いったいこの子たち(妹ちゃんも同罪でした。頭の回転が速い子だと思っていただけに、こちらもかなりショックでした)は何なんだ。
と、そんな気持ちになってしまって。

いろんなものが混ざり合って、深いため息ばかりが出てしまう毎日でした。
もしかしたら「更年期」も入っていたのかもしれませんけど・・。

自分の側からしか見えない 義弟の奥さん。

2009-10-10 08:09:19 | 母の作戦、考え
義弟は4日間、病院で過ごしました。2日目の夕方には、お医者さんから、
「脳波はもうほとんど動いていません。俗に言う脳死と同じような状況だと思ってください。」
と言われました。
4日間、たくさんのお友達が駆け付けてくれました。小学校時代からの親友。大学時代の仲間たち。そして職場の上司もほぼ毎日のように、忙しい中時間を作ってきてくださいました。
特に、お友達の多さと、そして皆さんが示してくださる思いの深さには、
義弟を誇りに思う気持ちが強く掻き立てられ、ありがたく思ったものです。

一方で、義弟の奥さんはと言えば、
倒れた日の翌朝、私にメールをしてきました。
「昨日はごめんなさい。つらいけどもうなきません。」
と。
私は、結構やさしい兄嫁だと思います。でも、このときは、
「もう、病院かな?私たちは夜中に帰ってきちゃったけど、お母さんは昨夜もずっとそばに詰めてるから、早く休ませてあげなきゃね。うちは、これから出ます。」
と打ち返しました。
彼女がたぶんまだ実家にいるのを百も承知で。

こんな事態に至っても、自分のことしか考えられない。
義弟のことも、息子の命を何とかつなぎ止めたいと、或いは、何もできないとわかっていても、息子を一人にはしておけないと、そう思ってICUの椅子に座って一晩を明かす義母のことも考えられずに、温かい実家で、のんびりとメールなぞを打っている彼女にやさしい気持にはなれませんでした。

そして、そうして彼女に腹を立てる気持ちは、そのままのんびり娘の成長への不安となって、私の気持ちを「怒り」より「落ち込み」に向かわせるのです。

のんびり娘との毎日の中で、この頃特に気になっていたのは、
「自分の側のことしか見えない」でした。
ここにも何度か書いていますが、
自己主張の言葉が豊かになった娘が繰り出してくる言葉から、
「相手の立場」に立った物言いが少ないこと。
見えているものが非常に狭いこと。
これが気になっていた時期でした。
毎日、親子バトルを繰り広げながら、なかなかそこから抜け出せないのんびり娘と格闘しながら、それでも私は
「いつか抜ける」ということを信じていました。
これまで、いくつもの階段を上がってきたのと同じように、この階段もバトルの末に必ずクリアしていくだろうと。

「未来」には保証なんてありません。私が彼女の未来を信じていたのは、周囲の人間の成長の過程から導き出したものがその根拠になっていたわけです。なのに、その根拠となるものが目の前で崩れていく。30年も生きてきて、夫を持ち子育ても経験しながら、「自分の目線」でしか、まだものを考えられない人間が存在する。
それが、心に重くのしかかるのを感じました。

言い足りないですね。
それだけではないです。言いにくいことだけれど、
そういう力の弱い人間が、義弟を救えなかったということ。
さらに言ってしまえば、義弟が一人でいろいろなものを抱え込まなければならなくなったのはまさにそうした人間と生活を共にしたからだということ。
義弟実家の家族にとって、義弟は大事な存在でした。いい奴でした。入院時からお葬式までの間に、次から次に全国から訪れてくれた義弟の友人たちにとっても義弟はいい奴でした。愛される人間でした。
その彼が失われた。
人の生き死には、ある意味「運」だと思うようにしてはいます。
お医者さんも、家族の心にしこりが残らないよう、「仕方がなかった」というように
説明はしてくれました。
でも、やはり、心の中に、
「彼女と結婚さえしていなければ・・。」
「あの時、離婚していれば・・」
「彼女が119番をすぐにしてくれていれば。」
という気持ちは浮かんできます。

そしてそれは、そのままのんびり娘の将来への不安になって私の気持ちを落ち込ませるのです。
これまで感じていなかった、
「彼女は結婚してもいいのだろうか?」
という思いが浮かんだりすることもありました。

今はね、「相手も出てきていないのに、何を今から悩むことがある。バカバカしい!!」で済んじゃうんですけどね。
義弟の死では、姉の時の痛みも蘇ってきていましたので、よほど堪えていたのでしょう。
鬼母の霍乱ですわ。


義弟が倒れた日

2009-10-09 16:48:18 | 母の作戦、考え
そんな義弟が倒れて、私が一番ショックだったこと。

まずは、義弟の奥さんが119番が出来なかったということ。
そして、義弟の奥さんは、意識なく眠り続ける義弟を残して、
その夜、実家に帰ってしまったこと。

義弟が倒れたのは平日ですが、仕事が休みの朝でした。
その日「お泊まり保育旅行」に行くという息子を車で送って帰ってきたアパートの部屋で
「頭が痛い!」と訴えたそうです。
普段大声を出さない義弟が大声で痛みを訴え、吐くほど苦しんでいるのに、奥さんは何をしたらいいか分からず、義母のところに電話をしてきます。
「○ちゃんが、頭が痛いって騒いでいるんですけど・・ふざけてはいないです。」
と。
義母は、すぐに119番するように指示します。
そして時計とにらめっこしながら10分後、
「どこの病院に入れそう?」
と電話を入れると、
「つながらないんです」
今の電話は、インターネット電話というかそういうのになっているでしょ。
それだと、119番がうまく通じないことがあるようなんです。
でも、義弟のうちには他に携帯が2台もあるのに、それを使おうという発想が彼女にはなかった。
「たすけて!!!」と大声を出し、隣人や通りがかりの人に助けを求めるという行動力もなかった。
結局、義母と、そしてやはり電話で相談された彼女の実家のお母さんが119番に事情を説明して救急車を回してもらい・・・病院に入ったのは30分以上たってからのことだったそうです。

これは、正直こたえました。彼女が力の弱いことは家族みんな知っていたけど、まさか119番がかけられないとは思っていなかったから。
119番ができない大人がいるということを想像さえしていなかったから。
そして、私の頭の中には、
「のんびり娘はどうなんだろう?やっぱりそういうことが出来ない大人になってしまうのではないか?」
という黒い不安が浮かんでしまったのです。

私が子供たちの安全を手配して病院に着いたのは夕方の5時ごろでした。義母は入院に必要なものを取りにちょうど家に戻っている時間で、
単身赴任先から特急で駆け付けたパパと、子供を夫の実家に預けて車を飛ばしてきた義妹と、私と、そして朝から詰めている奥さんと、呼吸器をつけて眠っている義弟を囲む形になりました。
姉のことがありますから、パパや義妹の気持ちは痛みのように伝わってきます。
ですが、私たちの向かい側で、いすに腰掛けている奥さんからはあまり気持ちが伝わってこない。
「○ちゃん、おきてよぉ。」とは言うけれど、手をさするでも握るでもない。
そうして、てっきり徹夜で付き添うのだと思った彼女は、実家のお母さんが
「すみませんね。朝からでこの子も疲れてますから・・」
と迎えに来ると、7時ごろ帰って行ったのでした。

ショックだったのは「冷たい」と思ったからではありません。
冷たくて計算高い人間は何人か知っていますが、彼女はそうではありません。
ショックだったのは、
彼女が自分で状況を判断し、自分で帰ることを決めるようには思えなかったから。
すでに、お医者さんから「打つ手なし」と言われ、ICUで計器につながれた夫をおいて家に帰るということが何を意味するのか、彼女にはちっともわかっているようには思えなかった。
そして、母親に言われた通り、連れて帰られてしまう彼女に、ほんの少しだけのんびり娘を乗せてみてしまったから。

「わからない」ということは、こういうことなんだ。
「できない」ということは、こういうことなんだとつきつけられたような気がしました。

義弟と奥さんのこと

2009-10-09 16:47:15 | 母の作戦、考え
義弟の奥さんは、世間的にいえばちょっと変わった女性でした。
以前、「変わった親せき」というタイトルで書いたことがあったかと思うのですが、
「箱入り」というかなんというか、いろんなことが自分ではできませんでした。
例えば、義弟の実家で義母の作った食事をごちそうになる時も、
「いただきます」や「ごちそうさま」も夫である義弟が促していたぐらい。
息子が赤ん坊の時も、子育ての主役は夫と彼女の実家のお母さんで、
義弟の実家(つまりパパの実家)で、息子のオムツに大がしてあった時も、
「やだぁ、ウンチしてる!」
と、数歩後ろに下がって義弟を呼んだような奥さんです。

嫁ぎ先(古い言葉ですみません)である義弟の実家家族(義父母、私たち一家、義妹夫婦)は、
「これまで、何にもさせてこなかったんだろう。だから、自分でやるという気持ちが育ってないんだろうね。」
と、話してきました。そして、
「義弟君のことだから、そういう彼女をなんとかしてあげたくて結婚したんじゃないのかな。」
などと話し、少しずつでも彼女が外に出ようとしたり、自分でお手伝いをしようとするのをさりげなく助けてきました。

具体的な例をあげれば、皆さんがきっと「えー!!」というようなことはたくさんありますけれど、それでも息子の成長とともに、
例えば、義母や私宛に、メールが打てるようになった。
とか、
義父母宅から帰るときに、「ありがとうございました」をいうようになった。
とか、息子と一緒に少しずつ世間に合わせていく力がついて言っているようではありました。もっとも、息子の方は成長著しかったので、お母さんのスピードはかなり遅く感じられはしましたが・・。

そういう彼女を身近で見ながら、実は私は、彼女がのんびり娘と同じようなIQの持ち主ではなかったのだろうかと考えたことがあります。
彼女には中度の知的障害と思われるお姉さんがいます。彼女のお母さんは、今もこのお姉さんを作業所などに送り迎えするのに忙しく過ごされていますが、
そのお母さんから、
「この子は手がかからなくて・・。」というのを聞いたことがあります。
また、彼女の実家に赤ちゃんの知育教材を差し上げるために伺った折には、
彼女は26年も過ごしてきた実家の箸のありかもわからない。ということを知りました。
手がかからなかったがゆえに、何も教えず、頭の切れる動きの素早いお母さんが全部やってしまったんだろうか。
と、そんな風に思ったのを覚えています。

そうやって、親が先走って動いても、たいがいの子は親をうっとうしがる時期が来たり、親を慮る時期が来て、自分で動き出します。でも、のんびりチャンには教えないとできないことがとても多いから。もしかしたら、彼女もそういう子で、しかも何も教えられずに来ちゃったのかなと、思ったんです。
義母が彼女に出身校を聞いた時も、
「わかりません」と答えたそうですし、
アルバイトや仕事をしたという経験もないようですし、
結婚式にもお友達は一人も来ませんでしたから、
社会的な経験がほとんどないのではないかと思えたんです。

家でも教えられない。社会との接点もない。だから分からないこと、できないことが多いのだろうから、それはおいおい体験していくことで埋めていける部分もあるだろう。

おそらく、義弟はそのように考えたのではないか。
私たちはそう思っていました。そういう考え方をする義弟でした。

ところが、一緒に暮らしてみればいろいろとあったのでしょう。
一人では動けない奥さんですので、なにかあると向こうの実家の親御さんも出てきて
大ごとになってしまったというのもあるかと思います。
4年ほど前には、義弟が仕事に行っている間に、アパートの荷物が彼のものだけ残して全部(エアコンまで外されていたそうです)彼女の実家に運び込まれていたということもありました。
さすがにそのときには義弟もかなり考えたようです。
でも、子供が好きで好きで大好きだった義弟(おむつはもちろん、離乳食も義弟が作り置きして冷凍庫に入れていたんですよ)は、結局息子と離れることはできなかったし、
息子とその母親を引き離すのことはできないし、その母親にその親が付いてくるのも仕方がないと、2週間の逡巡の末、彼女を迎えに行ったのでした。
だから、その時点ですべてを抱え込む決心をしたんだと思います。

義弟の仕事はストレスのたまるものです。拘束時間も長いです。
休日には体を休めたかったと思いますが、自分ではどこにも出かけられない彼女が
土日に連れ出してくれないとヒステリーを起こす(家を飛び出す騒ぎの元はそれでした。)ということがあって、土日も家族サービスに努めていました。
もちろん、それは彼にとっても楽しい時間となったとは思います。パパと同じ、「遊ぶの大好き!」な血が流れている人でしたから。
ただ、、健康診断であちこち引っかかってはいても、自分のことは後回しにする土壌はこうやって出来あがっていたんです。

ブログ、再開します。

2009-10-09 16:45:20 | 母の作戦、考え
しばらく休んでおりました。コメントをいただいていた、しのぶさん、希望さん、申し訳ありませんでした。

義弟の突然の死は、私自身の過去の経験を思い出させるということ以外に、いろいろな意味を持っていました。のんびり娘の行く末についても、いろいろと考えさせられ、気がつくと、かなり落ち込んだ状態にはまり込んでいました。
日々の忙しさで、そうした思いを振り払って過ごしてきましたが、49日の法要を明後日に控え、そろそろ自分の気持ちを動かしたものの正体を書き留めておこうかと思います。

のんびりちゃんのママにとっては、少々聞きにくい話が混ざるかと思います。
なにせ、私のような図太い母が落ち込んだくらいですから。
でも、最初に言っておきます。
私は、そこから抜けだしました。のんびり娘の「今」と「これから」についても、
今はさほどの不安を感じていません。大丈夫、なんとかなるでしょ。そう思って、以前のように「鬼母」やっています。


私を落ち込ませたものについて説明するには、義弟の家族のことを少し詳しく書かなければなりません。そのことがブログを再開するときのネックになっていました。個人が特定できるような情報は、出来るだけ書かないようにしようと心がけて、このブログを書いてきました。
一方で、出来る限り「私が直接見聞きしたこと」を中心に書くようにし、読んでくださる皆さんがそれぞれの感想を持てるようにと気をつけてきたつもりです。
ところが、今回の件では、「見聞きしたこと」を組み上げて書いてしまうと、個人が特定できる情報が出てきそうで・・
ですので、私のフィルターを通して、まとめた書き方をせざるを得ないかと思います。
偏って感じられる方もいらっしゃるかもしれません。
ぼかしつつ、不安の種をお伝えする。難しいですけど、チャレンジしてみます。
長くなると思いますので、分割しながら進めていきますね。

元気です。

2009-10-05 00:40:50 | 母の作戦、考え
ご心配をおかけしています。私は元気なのですが、PCが入院中です。
ふるいPCはキーボードが壊れてるので、うつと、50肩が悪化します(涙)。

短くしかうてないので、今日はよいことだけ。

のんびり娘の携帯に、小学校の同級生の男の子から、
「11月○日、うちの高校の文化祭だけど来る?」
って、メールが入りました。
先月、のんびり娘が招待したそのお返しなのだけど、
こんな風に「ふつー」にメールが来るのってすごく嬉しいです。

先週の日曜日は、テニスの試合でした。
初めての場所でも(駅ですけどね)、事前の説明と
メモ1枚で、心配なく出せるようになりました。
そして、試合後は、同学年の部員4人でお昼を食べて
お喋りしてきたそうです。

こんな「ふつー」もすごく嬉しい。

何度も「止めようか、どうしようか」と思いながら、
ここまで続けてきた部活。
意地悪された時期もあったし、孤立しているように
見える時期も長かったけど、こんな日も来るのよね。