どんなに頑張ってもできないことってだれでもあると思います。のんびりチャンには特にたくさんそれがあるように思います。
毎日2時間とか3時間とか、テスト前の休日などは10時間も勉強しても、
のんびり娘が東大に入ることはあり得ないと、ずうずうしい私にだってはっきりとわかります(笑い)。
「どうしてもやらなきゃいけないこと」だって、できるとは限りません。
その時に人の手を借りたって私は構わないだろうと思うのです。
例えば、友達に、例えば、親に、例えば親戚に、例えば通りかかった誰かに、
助けを求めたって構わないと思うのです。
ただ、「それは自分のやるべきことだ」という意識を持って人にやってもらうのと、
そうでないのとでは大きく違うと、私はそんな風に思います。
お通夜、告別式、奥さんのお父さんとも相談して、喪主は義父がつとめました。
葬儀社との打ち合わせはもちろん、義弟の友人たちへの連絡、勤務先との打ち合わせなども全部こちらで請け負いました。
それは、とても自然な流れでしたし、家族みんなが義弟のために何かしたくて動いていたことでしたので、それでよかったとは思っています。
ただ、奥さんを巻き込まなかったこと。これが良かったかどうか、天国の義弟にどう思われたか、少しだけ気になってはいます。
お通夜の日、奥さんの母親は、奥さんを囲い込むようにして、ずっと隣で支えていました。通夜振舞いの時も、自分たちの親戚だけが集まった席から動かそうとはしませんでした。
夜遅くなっても、仕事を終えてから来てくださる方がポツリポツリと続いていていました。
パパは、誰もいなくなった義弟の棺のそばで、そうした方々をお迎えするために
食事もせずに座り続けています。
外の受付のそばには、義弟の勤務先の支店長さんがずっと立っていてくれています。
そういうことに、奥さんが気がつく機会を持たせられなかったことを、少しだけ私は悔いています。
さて、のんびり娘と妹ちゃんですが、事前にお話ししておいたのが効いたのでしょう。
自分に何ができるかはよく考えてくれたと思います。
のんびり娘は、葬儀場の門が見えるところに陣取って、来場される方がいると、私やパパのところに知らせに来ます。
いそいそと、という雰囲気がその場の雰囲気に少しそぐわないのと、「どうだ。役に立ってるだろう」というような態度はあかんなぁ・・と思いますが、彼女なりに「自分も何かしよう」と「考えた」ことをよしとします。
妹ちゃんはもっと楽しい仕事を見つけました。
やんちゃ盛りの二人の従弟、五歳児コンビの遊び相手です。
広いお庭でちびたちと遊びながら、帰って行かれる方に
「ありがとうございました」と声をかけています。
「来てくださる方は、みんな忙しいのに、雨の中なのに、仕事があるのに、それでも義弟君のために、義弟君を大切に思ってくれるから来てくださるんだよ。」
と話していたので、彼女なりに考えての「ありがとうございました」だったと思うのですが、これが場にそぐわないほど明るい(汗)。
ゴールデンウィークのガソリンスタンドか!
と思うような掛け声で・・。
それでもね、誰のために何をしたらいいのか、それを考えられたことは良かったなと思うんですね。
それで、翌日の告別式の時には、奥さんを捕まえてこう言いました。
「あのね、本当はあなたがしなきゃいけないことなんだよ。奥さんだからね。
だけど、小さい子供もいるし、体も弱いから、お義父さんが代わりにやってくれてる。
だからね、今日一日が終わったらしっかりお礼を言うんだよ。」
と。
あとで聞きましたが、一日が終わった時、彼女はちゃんとお礼を言ったんだそうです。
言わされて言ったお礼ではなく、ちゃんと自分の言葉で。
自分がやることなんだという意識がなければ、お礼の必要さえ感じないでしょう。
やってあげた人間は、たとえ善意からの行動であったとしても、
何の反応もない相手にがっかりしたり、腹を立てたりするのが普通なのではないかと思うのです。
逆に、感謝の気持ちが伝わってくれば、気持よく手助けができ、いやな気持は残らないのではないかと思うのです。
奥さんは、感謝の気持ちを伝える言葉や表情は十分に持っています。
人に感謝する素直な気持ちも持っています。
でも、「じぶんでやることだ!」という意識が薄い。
だから、いざという時に動けないし、
客観的にみて感謝する場面でもお礼が言えない。
それで彼女が幸せならいいのだけれど、私たち義弟側の家族のように、助けてくれる人は離れていくという事態を呼んでしまっているように思うのです。
(義弟の息子がいますから、縁を切ったりする気は義父母にもありませんけど、あちらのご家庭とはできる限りお付き合いをしたくないというのが、正直な今の義弟側家族の心情です。ご両親の配慮のない言動によるところも大きいので奥さんのせいばかりというわけではないです。)
翻ってのんびり娘です。
私との学習二人三脚の中で、バトルのもとになることの一つがやはり
「誰のやることなのよ!!」ということです。
説明を聞きながらの手いたずら。できなかったのを「ママの言い方が・・・」だのなんだの言うことも増えてきて、いらいらさせられることも多かったこの時期、
いっそ完全に放り出して、「自分でやらなきゃいけないことだ!」
と強く感じてもらおうかと思ったりもしました。
そうなったら、私の自由時間は増え、本を読んだり飲みに行ったりできる時間も増えるだろうし・・・。
それでも、「放り出し」を、思いとどまって今に至っています。その経緯については、次の記事で。
毎日2時間とか3時間とか、テスト前の休日などは10時間も勉強しても、
のんびり娘が東大に入ることはあり得ないと、ずうずうしい私にだってはっきりとわかります(笑い)。
「どうしてもやらなきゃいけないこと」だって、できるとは限りません。
その時に人の手を借りたって私は構わないだろうと思うのです。
例えば、友達に、例えば、親に、例えば親戚に、例えば通りかかった誰かに、
助けを求めたって構わないと思うのです。
ただ、「それは自分のやるべきことだ」という意識を持って人にやってもらうのと、
そうでないのとでは大きく違うと、私はそんな風に思います。
お通夜、告別式、奥さんのお父さんとも相談して、喪主は義父がつとめました。
葬儀社との打ち合わせはもちろん、義弟の友人たちへの連絡、勤務先との打ち合わせなども全部こちらで請け負いました。
それは、とても自然な流れでしたし、家族みんなが義弟のために何かしたくて動いていたことでしたので、それでよかったとは思っています。
ただ、奥さんを巻き込まなかったこと。これが良かったかどうか、天国の義弟にどう思われたか、少しだけ気になってはいます。
お通夜の日、奥さんの母親は、奥さんを囲い込むようにして、ずっと隣で支えていました。通夜振舞いの時も、自分たちの親戚だけが集まった席から動かそうとはしませんでした。
夜遅くなっても、仕事を終えてから来てくださる方がポツリポツリと続いていていました。
パパは、誰もいなくなった義弟の棺のそばで、そうした方々をお迎えするために
食事もせずに座り続けています。
外の受付のそばには、義弟の勤務先の支店長さんがずっと立っていてくれています。
そういうことに、奥さんが気がつく機会を持たせられなかったことを、少しだけ私は悔いています。
さて、のんびり娘と妹ちゃんですが、事前にお話ししておいたのが効いたのでしょう。
自分に何ができるかはよく考えてくれたと思います。
のんびり娘は、葬儀場の門が見えるところに陣取って、来場される方がいると、私やパパのところに知らせに来ます。
いそいそと、という雰囲気がその場の雰囲気に少しそぐわないのと、「どうだ。役に立ってるだろう」というような態度はあかんなぁ・・と思いますが、彼女なりに「自分も何かしよう」と「考えた」ことをよしとします。
妹ちゃんはもっと楽しい仕事を見つけました。
やんちゃ盛りの二人の従弟、五歳児コンビの遊び相手です。
広いお庭でちびたちと遊びながら、帰って行かれる方に
「ありがとうございました」と声をかけています。
「来てくださる方は、みんな忙しいのに、雨の中なのに、仕事があるのに、それでも義弟君のために、義弟君を大切に思ってくれるから来てくださるんだよ。」
と話していたので、彼女なりに考えての「ありがとうございました」だったと思うのですが、これが場にそぐわないほど明るい(汗)。
ゴールデンウィークのガソリンスタンドか!
と思うような掛け声で・・。
それでもね、誰のために何をしたらいいのか、それを考えられたことは良かったなと思うんですね。
それで、翌日の告別式の時には、奥さんを捕まえてこう言いました。
「あのね、本当はあなたがしなきゃいけないことなんだよ。奥さんだからね。
だけど、小さい子供もいるし、体も弱いから、お義父さんが代わりにやってくれてる。
だからね、今日一日が終わったらしっかりお礼を言うんだよ。」
と。
あとで聞きましたが、一日が終わった時、彼女はちゃんとお礼を言ったんだそうです。
言わされて言ったお礼ではなく、ちゃんと自分の言葉で。
自分がやることなんだという意識がなければ、お礼の必要さえ感じないでしょう。
やってあげた人間は、たとえ善意からの行動であったとしても、
何の反応もない相手にがっかりしたり、腹を立てたりするのが普通なのではないかと思うのです。
逆に、感謝の気持ちが伝わってくれば、気持よく手助けができ、いやな気持は残らないのではないかと思うのです。
奥さんは、感謝の気持ちを伝える言葉や表情は十分に持っています。
人に感謝する素直な気持ちも持っています。
でも、「じぶんでやることだ!」という意識が薄い。
だから、いざという時に動けないし、
客観的にみて感謝する場面でもお礼が言えない。
それで彼女が幸せならいいのだけれど、私たち義弟側の家族のように、助けてくれる人は離れていくという事態を呼んでしまっているように思うのです。
(義弟の息子がいますから、縁を切ったりする気は義父母にもありませんけど、あちらのご家庭とはできる限りお付き合いをしたくないというのが、正直な今の義弟側家族の心情です。ご両親の配慮のない言動によるところも大きいので奥さんのせいばかりというわけではないです。)
翻ってのんびり娘です。
私との学習二人三脚の中で、バトルのもとになることの一つがやはり
「誰のやることなのよ!!」ということです。
説明を聞きながらの手いたずら。できなかったのを「ママの言い方が・・・」だのなんだの言うことも増えてきて、いらいらさせられることも多かったこの時期、
いっそ完全に放り出して、「自分でやらなきゃいけないことだ!」
と強く感じてもらおうかと思ったりもしました。
そうなったら、私の自由時間は増え、本を読んだり飲みに行ったりできる時間も増えるだろうし・・・。
それでも、「放り出し」を、思いとどまって今に至っています。その経緯については、次の記事で。