のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

重い気持ちとため息の日々。

2009-10-10 21:49:29 | 母の作戦、考え
しずくさんコメントありがとうございます。
なるべく早く今の状況にたどりつくために、本文優先で書かせていただいています。
お返事、遅くなりますけど、すみません。

義弟の病院は、私の家から車で1時間半ほどのところにありました。義弟を一人にはしたくないのと、病院に詰めている義母を少しでも休ませたいのとで、私も子供たちを家に置いて毎日通いました。
我が家よりも病院に近いパパの実家に子供たちをおいて、夜遅くまで病院で過ごすこともありました。

夏休みの最終週です。宿題の仕上げと、期末テストの準備と、大事な時期だと思っていました。でも、人の命の方がずっとずっと大事ですから、
子供たち二人には、
「ママはしばらく何もできないよ。自分で考えて、できることをやっていかないと間に合わないから、よく考えて頑張るんだよ。」
と話しました。

でもね、全然駄目だったの。
鬼母のいないのをよいことに、普段見られない時間帯のテレビをつけては魂を吸い取られ(我が家の娘たちはこういう状態になります)、やるべきことはちっともやっていない。
普段なら、
「ばかもの!!!」で済む、こんなことがひどく堪えました。

私の心の中には、
のんびり娘にしろ、やんちゃな妹ちゃんにしろ、
家族のピンチ、母のピンチともなれば、精一杯何かしようとしてくれるだろう・・
という、親ならではの甘い期待があったのですね。
私自身が子供のころしてきたように、私の姉や兄がしてきたように、
親が大変な時には留守の間に家事を片づけておくような、そんな気配りをどこかで期待していたんだと思います。
それがまぁ、見事に裏切られたことの悲しさ。
そしてまた、
仕事などでの「普通の不在」ではなく、彼女たちにとっても優しい叔父さんの命にかかわることなのに、いつもと同じようにしか過ごせないことへの情けなさ。
そこには想像力のかけらもないと、
いったい私は、この十数年どんな子育てをしてきてしまったのかと、
体中から力が抜けていく思いでした。

あぁ、因みに彼女たちがテレビや漫画(パパの自宅には、義弟が中心となって集めた見事な漫画のコレクションがあります)に夢中になって、宿題も支度も手伝いも何もしなかったのは1日だけではありません。初日、理を分けて話をし、2日目雷を落とし、それでも目先の刺激に誘惑される子供たちに、最後にはため息しか出なくなっていったのです。

義弟の奥さんのことを、

のんびり色があったのに、気付かれずに放っておかれてしまったため、人に何かをしてもらうのが当たり前になってしまったんじゃぁないのかな。
そのために、自分がしなきゃという気持ちが持てないし、やってもらえることが当たり前だから感謝の気持ちも浮かばないんだろう。

と思っていた私は、ここのブログでもおわかりの通り、のんびり娘には決して甘くはありません。時間のこと、勉強の仕方のこと、片付けのこと、激しいバトルは毎日のように繰り広げられています。
「優しい、お友達のようなお母さん。」
なんてやろうとも思ったことはありません。
私が望んできたのは、「自分で生き抜く力」を持つこと。
そしてとっとと、この家から出て行ってくれること。

の、つもりだったのですが・・・

結局、義弟の奥さんと同じじゃないか。
家族のピンチに、「自分は何が出来るか?」を考えようともしないなんて、
いったいこの子たち(妹ちゃんも同罪でした。頭の回転が速い子だと思っていただけに、こちらもかなりショックでした)は何なんだ。
と、そんな気持ちになってしまって。

いろんなものが混ざり合って、深いため息ばかりが出てしまう毎日でした。
もしかしたら「更年期」も入っていたのかもしれませんけど・・。

自分の側からしか見えない 義弟の奥さん。

2009-10-10 08:09:19 | 母の作戦、考え
義弟は4日間、病院で過ごしました。2日目の夕方には、お医者さんから、
「脳波はもうほとんど動いていません。俗に言う脳死と同じような状況だと思ってください。」
と言われました。
4日間、たくさんのお友達が駆け付けてくれました。小学校時代からの親友。大学時代の仲間たち。そして職場の上司もほぼ毎日のように、忙しい中時間を作ってきてくださいました。
特に、お友達の多さと、そして皆さんが示してくださる思いの深さには、
義弟を誇りに思う気持ちが強く掻き立てられ、ありがたく思ったものです。

一方で、義弟の奥さんはと言えば、
倒れた日の翌朝、私にメールをしてきました。
「昨日はごめんなさい。つらいけどもうなきません。」
と。
私は、結構やさしい兄嫁だと思います。でも、このときは、
「もう、病院かな?私たちは夜中に帰ってきちゃったけど、お母さんは昨夜もずっとそばに詰めてるから、早く休ませてあげなきゃね。うちは、これから出ます。」
と打ち返しました。
彼女がたぶんまだ実家にいるのを百も承知で。

こんな事態に至っても、自分のことしか考えられない。
義弟のことも、息子の命を何とかつなぎ止めたいと、或いは、何もできないとわかっていても、息子を一人にはしておけないと、そう思ってICUの椅子に座って一晩を明かす義母のことも考えられずに、温かい実家で、のんびりとメールなぞを打っている彼女にやさしい気持にはなれませんでした。

そして、そうして彼女に腹を立てる気持ちは、そのままのんびり娘の成長への不安となって、私の気持ちを「怒り」より「落ち込み」に向かわせるのです。

のんびり娘との毎日の中で、この頃特に気になっていたのは、
「自分の側のことしか見えない」でした。
ここにも何度か書いていますが、
自己主張の言葉が豊かになった娘が繰り出してくる言葉から、
「相手の立場」に立った物言いが少ないこと。
見えているものが非常に狭いこと。
これが気になっていた時期でした。
毎日、親子バトルを繰り広げながら、なかなかそこから抜け出せないのんびり娘と格闘しながら、それでも私は
「いつか抜ける」ということを信じていました。
これまで、いくつもの階段を上がってきたのと同じように、この階段もバトルの末に必ずクリアしていくだろうと。

「未来」には保証なんてありません。私が彼女の未来を信じていたのは、周囲の人間の成長の過程から導き出したものがその根拠になっていたわけです。なのに、その根拠となるものが目の前で崩れていく。30年も生きてきて、夫を持ち子育ても経験しながら、「自分の目線」でしか、まだものを考えられない人間が存在する。
それが、心に重くのしかかるのを感じました。

言い足りないですね。
それだけではないです。言いにくいことだけれど、
そういう力の弱い人間が、義弟を救えなかったということ。
さらに言ってしまえば、義弟が一人でいろいろなものを抱え込まなければならなくなったのはまさにそうした人間と生活を共にしたからだということ。
義弟実家の家族にとって、義弟は大事な存在でした。いい奴でした。入院時からお葬式までの間に、次から次に全国から訪れてくれた義弟の友人たちにとっても義弟はいい奴でした。愛される人間でした。
その彼が失われた。
人の生き死には、ある意味「運」だと思うようにしてはいます。
お医者さんも、家族の心にしこりが残らないよう、「仕方がなかった」というように
説明はしてくれました。
でも、やはり、心の中に、
「彼女と結婚さえしていなければ・・。」
「あの時、離婚していれば・・」
「彼女が119番をすぐにしてくれていれば。」
という気持ちは浮かんできます。

そしてそれは、そのままのんびり娘の将来への不安になって私の気持ちを落ち込ませるのです。
これまで感じていなかった、
「彼女は結婚してもいいのだろうか?」
という思いが浮かんだりすることもありました。

今はね、「相手も出てきていないのに、何を今から悩むことがある。バカバカしい!!」で済んじゃうんですけどね。
義弟の死では、姉の時の痛みも蘇ってきていましたので、よほど堪えていたのでしょう。
鬼母の霍乱ですわ。