悠々さんお久しぶりです。
私自身は、すでに重い気持を抜けてしまっているのですが、読んでくださっている皆さんに暗い空気を届けてしまって済みません。なるべく早く今に至るよう、頑張って書きますね。
義弟が亡くなった日は金曜の夜でした。その日も、奥さんは母親に連れられて午後に少し顔を出し、
「アパートの片付けがありますから・・」
と話す母親に連れられて、間もなく帰って行きました。
「いるのが当然なのだから、あなたが奥さんなのだから。一緒にいられる時間はもうあと少ししかないのだから。」
そう教えてあげたいと思う気持ちと、
一緒にいたくはないだろうと思う義母への気持ちとの間で、私の気持ちも揺れました。
結局私は、義弟を失うことを心から悼んでいる義母や義父、パパや義妹の気持ちをとりました。
奥さんを引きとめること、いさめることはしなかったんです。
悪気はないのだろうけど、配慮のない物言いでその場の空気を乱す彼女のご両親にもいて欲しくなかった。だから帰ってくれるとホッとしました。
と同時に、義弟自身はどうなんだろうと、奥さんにいてもらいたかったのではないか、
いてもらえるように働きかけなかったことは義弟に対して冷たい仕打ちだったのではないかと思ったりもしました。奥さんに対する義弟の気持ちだけは今もよくわかりません。
夕方4時ごろ、お医者さんが計器のデータをみて、
「心臓が少しずつ弱ってきています。もしかすると今夜が・・」
とお話していかれました。
夜に備えていったん家に戻っていた義母をメールで呼び戻し、数値に変化がないことを確認してから、子供たちと一緒に軽い夕食をとってもらっているその時間に、病室に残ってくれた義父から慌てた声で電話がありました。
義母と急いで駆け付けると眠っていたようだった義弟の血の気が、まだらにひいてゆくところでした。
4日間、脳の指示がないまま動き続け、私たち家族に気持ちを落ち着かせる時間を与え、たくさんの友人たちにお別れをする時間を与えてくれた義弟の心臓が力尽きた瞬間でした。
夜遅くに亡くなりましたので、そのあと義弟をどこに安置するかが問題となりました。
義弟のアパートでは管理人さんの許可が下りない(深夜なので連絡がつかない)し、奥さんと息子は実家に身を寄せている状態です。葬儀社が安置してくれるという場所は遠く、家族としてはやはり義弟を一人きりでそんな見知らぬところに安置する気にはなれず、
義弟実家に祭壇を作って仮通夜をすることになりました。
義母、義父、私たち一家(金曜でしたので、実家に泊まることも考えに入れて子供たち二人も病院に連れてきていましたし、パパも赴任先での仕事を終えて特急で病院に来ていました)、急変の知らせを受けて駆けつけた義妹一家(お別れだからと、五歳の息子も連れてきました)、それからやはり義弟の心臓が止まった知らせを受けてからやってきた奥さんとその両親、そして義弟の息子(五歳)。
病院の地下にある安置所でお線香を手向け、隣の部屋でみんなが今後のことを相談している間、私と長女と奥さんと息子は安置室で義弟のそばで過ごしました。
そこで初めて、私は奥さんに、
「お葬式って初めてでしょ。あのね、○ちゃんね(家族はみんな義弟のことをそう呼んでいました)、お葬式の日にはもう焼かれて骨だけになっちゃうんだよ。この姿で会えるのはあと少しなの。お顔を見たり、手を握ったりさすったりできるのもあと少しなのよね。あなたは奥さんなんだから、あとで後悔しないように一緒にいたいなら周りに遠慮しないで一緒にいたらいいんだよ。」
と言いました。
「はい。」
と、小さい声で答えた奥さん。
もう動かない、もう何もしてくれない夫に、彼女は何を思っていたのか。どう感じていたのか。彼女の涙が、義弟の苦しさや無念を思ってのものだったのか、それとも自分に対する憐れみだったのか、それは私にはよくわかりません。
でも、結局彼女は自分から「こうしたい」と言い出すことはなかった。
二日間義弟は自分の生まれ育った家で休み、それからお通夜のために会館に移されました。
義弟が実家に泊まった2晩は、私たち一家も泊まりこみ、私と義母は夜になると、義弟の脇でお喋りしていました。
会館でのお通夜の時は、義父母、パパ、義妹の4人が、そこに泊まって過ごしました。私と子どもたちは実家でお留守番。
義弟は倒れた日から1度も一人きりになることはなかったです。
(今もお骨になって実家にいますが、義父母は出かける時間をずらして、義弟が一人になる時間を極力作らないようにしています。
それがわかっているから、私たちも義妹夫婦もちょくちょく実家に顔を出しています。)
でも奥さんは病院でも、仮通夜も本通夜も、一度も一晩通してそばにいることはなかったの。
義弟の実家に来る時も、彼女のお父さんかお母さんが連絡してきて、連れてくる。そしてほどなく連れて帰られる。
葬儀のことも、アパートのことも、彼女の頭ごなしで義父と彼女の父親が話している。
義弟のために遠くから新幹線で駆け付けてくれた古い友人たちの相手は義母がしている。
彼女はと言えば、何となく手持ち無沙汰な様子でウロウロし、そうして親に連れられて帰っていく。
彼女はそれでいいんだろうか。何もかもが自分の上を通り過ぎていくような人生で幸せなんだろうかとふと思ったりするのは、やはりのんびり娘の将来と重ねてみてしまったからでしょう。
私自身は、すでに重い気持を抜けてしまっているのですが、読んでくださっている皆さんに暗い空気を届けてしまって済みません。なるべく早く今に至るよう、頑張って書きますね。
義弟が亡くなった日は金曜の夜でした。その日も、奥さんは母親に連れられて午後に少し顔を出し、
「アパートの片付けがありますから・・」
と話す母親に連れられて、間もなく帰って行きました。
「いるのが当然なのだから、あなたが奥さんなのだから。一緒にいられる時間はもうあと少ししかないのだから。」
そう教えてあげたいと思う気持ちと、
一緒にいたくはないだろうと思う義母への気持ちとの間で、私の気持ちも揺れました。
結局私は、義弟を失うことを心から悼んでいる義母や義父、パパや義妹の気持ちをとりました。
奥さんを引きとめること、いさめることはしなかったんです。
悪気はないのだろうけど、配慮のない物言いでその場の空気を乱す彼女のご両親にもいて欲しくなかった。だから帰ってくれるとホッとしました。
と同時に、義弟自身はどうなんだろうと、奥さんにいてもらいたかったのではないか、
いてもらえるように働きかけなかったことは義弟に対して冷たい仕打ちだったのではないかと思ったりもしました。奥さんに対する義弟の気持ちだけは今もよくわかりません。
夕方4時ごろ、お医者さんが計器のデータをみて、
「心臓が少しずつ弱ってきています。もしかすると今夜が・・」
とお話していかれました。
夜に備えていったん家に戻っていた義母をメールで呼び戻し、数値に変化がないことを確認してから、子供たちと一緒に軽い夕食をとってもらっているその時間に、病室に残ってくれた義父から慌てた声で電話がありました。
義母と急いで駆け付けると眠っていたようだった義弟の血の気が、まだらにひいてゆくところでした。
4日間、脳の指示がないまま動き続け、私たち家族に気持ちを落ち着かせる時間を与え、たくさんの友人たちにお別れをする時間を与えてくれた義弟の心臓が力尽きた瞬間でした。
夜遅くに亡くなりましたので、そのあと義弟をどこに安置するかが問題となりました。
義弟のアパートでは管理人さんの許可が下りない(深夜なので連絡がつかない)し、奥さんと息子は実家に身を寄せている状態です。葬儀社が安置してくれるという場所は遠く、家族としてはやはり義弟を一人きりでそんな見知らぬところに安置する気にはなれず、
義弟実家に祭壇を作って仮通夜をすることになりました。
義母、義父、私たち一家(金曜でしたので、実家に泊まることも考えに入れて子供たち二人も病院に連れてきていましたし、パパも赴任先での仕事を終えて特急で病院に来ていました)、急変の知らせを受けて駆けつけた義妹一家(お別れだからと、五歳の息子も連れてきました)、それからやはり義弟の心臓が止まった知らせを受けてからやってきた奥さんとその両親、そして義弟の息子(五歳)。
病院の地下にある安置所でお線香を手向け、隣の部屋でみんなが今後のことを相談している間、私と長女と奥さんと息子は安置室で義弟のそばで過ごしました。
そこで初めて、私は奥さんに、
「お葬式って初めてでしょ。あのね、○ちゃんね(家族はみんな義弟のことをそう呼んでいました)、お葬式の日にはもう焼かれて骨だけになっちゃうんだよ。この姿で会えるのはあと少しなの。お顔を見たり、手を握ったりさすったりできるのもあと少しなのよね。あなたは奥さんなんだから、あとで後悔しないように一緒にいたいなら周りに遠慮しないで一緒にいたらいいんだよ。」
と言いました。
「はい。」
と、小さい声で答えた奥さん。
もう動かない、もう何もしてくれない夫に、彼女は何を思っていたのか。どう感じていたのか。彼女の涙が、義弟の苦しさや無念を思ってのものだったのか、それとも自分に対する憐れみだったのか、それは私にはよくわかりません。
でも、結局彼女は自分から「こうしたい」と言い出すことはなかった。
二日間義弟は自分の生まれ育った家で休み、それからお通夜のために会館に移されました。
義弟が実家に泊まった2晩は、私たち一家も泊まりこみ、私と義母は夜になると、義弟の脇でお喋りしていました。
会館でのお通夜の時は、義父母、パパ、義妹の4人が、そこに泊まって過ごしました。私と子どもたちは実家でお留守番。
義弟は倒れた日から1度も一人きりになることはなかったです。
(今もお骨になって実家にいますが、義父母は出かける時間をずらして、義弟が一人になる時間を極力作らないようにしています。
それがわかっているから、私たちも義妹夫婦もちょくちょく実家に顔を出しています。)
でも奥さんは病院でも、仮通夜も本通夜も、一度も一晩通してそばにいることはなかったの。
義弟の実家に来る時も、彼女のお父さんかお母さんが連絡してきて、連れてくる。そしてほどなく連れて帰られる。
葬儀のことも、アパートのことも、彼女の頭ごなしで義父と彼女の父親が話している。
義弟のために遠くから新幹線で駆け付けてくれた古い友人たちの相手は義母がしている。
彼女はと言えば、何となく手持ち無沙汰な様子でウロウロし、そうして親に連れられて帰っていく。
彼女はそれでいいんだろうか。何もかもが自分の上を通り過ぎていくような人生で幸せなんだろうかとふと思ったりするのは、やはりのんびり娘の将来と重ねてみてしまったからでしょう。