まったく、どうして何にでもこんなに時間がかかるんだろう。
のんびり娘とせっかち母の生活で、母にはこんな不満がたまっていくのです。
そしてのんびり娘には
「何かというと『早くしなさい!』をいう。私だってちゃんとやってるのに」
という不満がたまり、それぞれ許容量をこえると、バトル勃発となる我が家です。
今日は小爆発が3回かな。
1回目は出かけるとき。朝は忙しいので何かとバトルも置きやすいのです。
順調に支度が整っていったと思ったのに、最終段階で
のんびり娘が手間取っています。ライティングデスクの机が締まらないのです。
机の上に乗っているものを棚に突っ込み、なんとか閉めようとするのですが
ものがつっかえていて締まらない。
何度もやり直すのですが、ひっかっかっている原因をなかなか見つけられずに
時間がかかります。
それはいいんです。よくあることでしょ。
でもね、のんびり娘、何だか動きがおかしいの。やたらに時間を食うなと思ったら、
片手に持った雑誌を手放さずに全ての作業をするんですね。
これ、着替えの時にも良くします。
片手に、これから着ようというシャツを持ったまま、パジャマを片手で脱ぎ始める。
効率悪い事この上ないので、
「片手でやらない。ものを離して両手を使う。」
と、口を酸っぱくして言っているのに、またまた時間のかかるやり方をしてしまう。
「一体いつになったら直すのよ!」
のお説教で、学校に送り出す事になってしまいました。
さて、2回目は学校へ迎えにいった時の出来事です。
今日は教育相談があるので、
「授業が終わったら、学校側の交差点に来てね。そこで車に乗せるから。」
といってありました。
なかなかこない娘に不安を感じて、学校の下駄箱までダッシュ(駐禁が怖いのです)して見に行くと、靴がない。
これは併設の児童館に真っ直ぐ向かったなと、慌てて児童館に電話をかけ、
館長さんにお願いして出して貰いました。
この時点では、「忘れちゃったのかな。もっとしっかり言って置けばよかったかな」
と、冷静な私だったのですが、やってきた娘の、
「私がきた時、ママいなかったから・・」
といういい訳を聞いたとたんに爆発。
「ママがいなかったら、なぜ電話しない!
4時からだって知っているのに、時間が迫っても車を見にくることもしないで
遊んでたのか!!」
「自分がやるべき事を何もせず、自分の脳みそを使いもしないで、
人のせいにして終わるのか!!!」って、
われながら凄い剣幕でした。
私は、この手の「ひとのせい」発言が大嫌いなのです。
いえ、他人様がそういった発言をするのは少しも気になりません。
夫が言っても、まぁ許しちゃいます。
だけど、自分の子ども達がそういう物言いをした時はカチンときます。
「人のせい」にしている間は、自分を成長させる方向に行かないから。
「失敗は成功の元」であるのは確かだけれど、それは
失敗の原因を分析し、次はどうしたらいいかを考えた場合に限られます。
失敗を「人のせい」にしてしまうと、自分の中にある原因に目がいかず、
分析も対策もうやむやのうちに終わるのです。
自分の子どもの場合にのみ強く反応する私の心の中には、
そうして自分の成長のチャンスを無駄にする「勿体無さ」を嫌う気持ちが
あるのだと思います。
とことん「無駄」が嫌いな私です。
なのに・・・
夕食は1時間以上もかけてゆっくりと。
トイレにいけば10分近くもでてこない。
お風呂にはいったかと思えば、洗面台で一人まったり5分以上。
ようやくはいった音がしたと思えば、今度は1時間もでてこない。
「無駄」だらけの君の時間はどうなっているんだ!!!
と、先ほど3回目のバトルがありまして(バトルというのは、娘からの反撃もあるからですよ。)、ようやく1日が終わります。
のんびり娘とせっかち母の生活で、母にはこんな不満がたまっていくのです。
そしてのんびり娘には
「何かというと『早くしなさい!』をいう。私だってちゃんとやってるのに」
という不満がたまり、それぞれ許容量をこえると、バトル勃発となる我が家です。
今日は小爆発が3回かな。
1回目は出かけるとき。朝は忙しいので何かとバトルも置きやすいのです。
順調に支度が整っていったと思ったのに、最終段階で
のんびり娘が手間取っています。ライティングデスクの机が締まらないのです。
机の上に乗っているものを棚に突っ込み、なんとか閉めようとするのですが
ものがつっかえていて締まらない。
何度もやり直すのですが、ひっかっかっている原因をなかなか見つけられずに
時間がかかります。
それはいいんです。よくあることでしょ。
でもね、のんびり娘、何だか動きがおかしいの。やたらに時間を食うなと思ったら、
片手に持った雑誌を手放さずに全ての作業をするんですね。
これ、着替えの時にも良くします。
片手に、これから着ようというシャツを持ったまま、パジャマを片手で脱ぎ始める。
効率悪い事この上ないので、
「片手でやらない。ものを離して両手を使う。」
と、口を酸っぱくして言っているのに、またまた時間のかかるやり方をしてしまう。
「一体いつになったら直すのよ!」
のお説教で、学校に送り出す事になってしまいました。
さて、2回目は学校へ迎えにいった時の出来事です。
今日は教育相談があるので、
「授業が終わったら、学校側の交差点に来てね。そこで車に乗せるから。」
といってありました。
なかなかこない娘に不安を感じて、学校の下駄箱までダッシュ(駐禁が怖いのです)して見に行くと、靴がない。
これは併設の児童館に真っ直ぐ向かったなと、慌てて児童館に電話をかけ、
館長さんにお願いして出して貰いました。
この時点では、「忘れちゃったのかな。もっとしっかり言って置けばよかったかな」
と、冷静な私だったのですが、やってきた娘の、
「私がきた時、ママいなかったから・・」
といういい訳を聞いたとたんに爆発。
「ママがいなかったら、なぜ電話しない!
4時からだって知っているのに、時間が迫っても車を見にくることもしないで
遊んでたのか!!」
「自分がやるべき事を何もせず、自分の脳みそを使いもしないで、
人のせいにして終わるのか!!!」って、
われながら凄い剣幕でした。
私は、この手の「ひとのせい」発言が大嫌いなのです。
いえ、他人様がそういった発言をするのは少しも気になりません。
夫が言っても、まぁ許しちゃいます。
だけど、自分の子ども達がそういう物言いをした時はカチンときます。
「人のせい」にしている間は、自分を成長させる方向に行かないから。
「失敗は成功の元」であるのは確かだけれど、それは
失敗の原因を分析し、次はどうしたらいいかを考えた場合に限られます。
失敗を「人のせい」にしてしまうと、自分の中にある原因に目がいかず、
分析も対策もうやむやのうちに終わるのです。
自分の子どもの場合にのみ強く反応する私の心の中には、
そうして自分の成長のチャンスを無駄にする「勿体無さ」を嫌う気持ちが
あるのだと思います。
とことん「無駄」が嫌いな私です。
なのに・・・
夕食は1時間以上もかけてゆっくりと。
トイレにいけば10分近くもでてこない。
お風呂にはいったかと思えば、洗面台で一人まったり5分以上。
ようやくはいった音がしたと思えば、今度は1時間もでてこない。
「無駄」だらけの君の時間はどうなっているんだ!!!
と、先ほど3回目のバトルがありまして(バトルというのは、娘からの反撃もあるからですよ。)、ようやく1日が終わります。
《私がだらしないだけなのか?》
>夕食は1時間以上もかけてゆっくりと。
>トイレにいけば10分近くもでてこない。
>お風呂にはいったかと思えば、洗面台で一人まったり5分以上。
>ようやくはいった音がしたと思えば、今度は1時間もでてこない。
まぁまぁ・・・いいじゃないですか。
そんなに急がなくても・・・と、私は思うのですが。(^^;)
そういう時間も、人間には大切だと思いますが。
勿論、急がなくてはいけないときは、それはそれですけど。(^^;)
>片手に持った雑誌を手放さずに全ての作業をするんですね
あぁ、これね。でも持ってるだけすごいじゃないですか。私なんて、気がつかないうちに手放して、手放したことを忘れてしまう毎日の、典型的な注意欠陥型ですから。(^^;)
私は自分のために「ADHD対策マニュアル」?みたいな本を参考にして日々暮らしてますが(余りにもあてはまるから・・)、
「行かなくては行けないことがあるときは、あえて、他の事が気になっても、それだけに集中する。」
ことにしています。従って、お嬢さんの場合でいうと、雑誌はその閉まらないライディングデスクの上において(あきらめて)支度を続けることになります。(それはそれで、だらしないですが・・仕方ないのです。もし、ライディングデスクをしまるために物を片づけ始めてしまうと、何時までに出かけなくてはいけない、ってことを忘れてしまうので・・;)
>「私がきた時、ママいなかったから・・」
わかるような気がしますね~。(^^;)
ま、お母さんとしては、心配もあるしで、腹立つことうけあい(?)ですが・・
まぁ、大丈夫ですよ。そのくらいは、きっと子供なんて普通だと思いますけど?(って、私が変わってるだけなのかな?)
以前、私が読んだ育児書に、
「大人はすぐに、早く早く、っていうけど、本当に早くやらなくちゃいけない時なんて、実は少ない。」
ってね、ありました。
まぁ、それぞれの価値観がありますけど・・・
私は、『ちょっと、お嬢さんの気持ちもわかるかな~』って、思いました。多分、私の少女時代も似たようなもんだったかも、しれませんね~。
仕事に熱中すればする程、通り過ぎた後に膨大なゴミの山を築いていくのが私なので・・・(わらうなよぉ!!)
私が娘にわからせたいのは(出来るようにさせたいのではなくてわかる道筋に乗せたいのです)、
「早くしなければならない時がある。」ということと、「急いでいるという『自分感覚』は通用しない。」ということだと思うんです。
「いそいでいる」ことが大事なんじゃなくて、
「間に合わせる」ことが目的だという認識を持つ事。
だから、「間に合わない」場合には「間に合わす」方法を考えていかなきゃいけない。
そう持っていきたいのですが、娘も頑固ちゃんですので、
「だって、私は急いでいるもん!」で、グルグルとバトルになるんですよ。
今回もね、
「ママがいなかったから」で済ますのは違うという事を感じて欲しかったのです。
教育相談所には2人の先生があなたの到着を時間を空けて待っている。
児童館の先生は、ママの電話を受けてあなたを探して広い館内を(本当に広いんです)探し回った。
ママはママで、それぞれの先生達に申し訳ないとお電話している。
そういう、自分の目に見えない場所で行なわれている事。自分のために動いてくれている人たちの行動や気持ち。
そうしたものに目を向けられるようになっていって欲しいんです。
娘は優しい子です。
周りの人の気持ちに気付きさえすれば、
自分から動こうとする子です。
それが、方法としてうまくなかったとしても、
自分で考えて動き出しさえすれば、次にはもっといい方法が浮かんできます。
「誰かのせい」で終わりにしたら、動く必要はないから。考えもしなくなっちゃう。
それが、私は嫌なんですよ。
人間は1人で生きているのはないです。
社会で生きていくには今、何を要求されているのかを理解し、できるだけそれに沿う努力をしなければならない。
のんびりですから、仕事や学業のレベル的には本人の適性を重んじますが、どんなレベルでも「ルール」に従うことは避けられません。
双子の弟は、本能的にでしょうがその部分が優れていて、「その場のルール」「雰囲気」の読み取りが上手です。細かくはないけど、他の人を巻き込む場合の「時間」の厳守、「約束」の厳守が上手い。
兄も基本的には「時間」で動くのは「外」では上手いので、ある意味、定型姉よりも安心できるまでになりました。
ただ、家の中や本当に家族のに関与する場では「無法地帯」
リラックスする部分も必要なので、今日やるべき最低量の学習と就寝時間のみ厳守、
あとは本当にご自由にって。
ま、片付け等で結局雷落ちるんですどね。
最近、障害者就労関係のセミナー等に出てみて、
「困ったときに助けを出せる」
「素直に人の教えを聞ける」
「ルールが守れる」
「基本的生活マナー」
これが、どの障碍レベルでも就労を成功・持続させるポイントと判明。
(何ができるかは問題にならないようです。本人にあった仕事を今は企業が作ってくれている時代になったようです)
これは一般就労でも社会生活においても、基本的には同じだと思います。
我が家も失敗が多く、その都度指導したくちです。
でも、そのお蔭で「時間」を意識して動くってことができるようになったので良かったと思っています。
(朝は5分刻みの行動パターンで自衛隊の日課のような毎日です(笑))
というところが、成長につれて難しくなっていたのんびり娘ですが、受験の一山超えてちょっと自信がついたのか、
このあたりの頑固さは少しずつ取れてきました。
言葉も成長してきていますので、
「何に困っているのか」を表現しやすくなっているみたいです。
「素直に人の教えが聞ける」
これが、今一番の問題かなぁ。
成長につれて、「自分なりの考え」に拘る面が強くなっています。いわゆる「反抗期」という奴だと思いますので、それ自体は良い事なのですが、どうもその反抗の根元に、視野の狭さを感じるのです。
イメージする力の弱さかもしれません。
「ルールが守れる」
この意識は非常に強い子です。
ちゃんとやろうとする気持ちはしっかり持っています。
でも、時間に関して言えば、まだ自分の中に「時計を意識する習慣」をもっていないのだと思います。
親として、時間を意識するための「工夫」はできます。
でも、本人が「時間を気にしよう」という気持ちにならないと、用意した工夫も結局役に立たないんですねぇ。
「自衛隊の日課」とありましたけど、時々「全寮制の学校に突っ込んだら、その辺が成長するかしら」などと考えてしまう母なのであります。
私も、SEIさんと同じようなバトルをプーとしていたら、プー父から、まあまあ、そんなことぐらいで、熱くなるなと窘められます。
のんびり育っているんだから、ゆっくりと教えれば良いと・・・。
プー父のいない隙に、バトルは、続いています。
負けないぞ・・・と心の中で叫んでいます。
プー父さんは、穏やかな方なんですね。
のんびり娘のパパは、バトルに当たると
露骨に嫌な顔をします。
それでも、私以外に娘にこうした対応をする人間はいないのだから、バトルも必要かと続けています。
そして、パパの「露骨に嫌な顔」も、
「こういう状況を見た人がどう感じるか」のいい勉強だからいいかと、受け流してしまう嫁なのであります。
まだまだ娘は小さいので(体がです)、私の意識の中には、「負けないぞ・・」というのはないのですが、
「どう言ったら伝わるのか。どうしたらわかってくれるのか」怒鳴りながら、いつも必死で考えています。
で、娘も同じ想いで怒鳴りあいとなるわけです。
おかげで親子とも、肺活量と声の大きさには自信ありです。